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書評 中村晃著『竹俣当綱』   


takanomata 著者の中村晃氏は、1928年、山形県寒河江市に生まれ、東北大学文学部哲学科を卒業。『量の次代』『諸行無常の歌』で青鷗賞準賞受賞。現在、山形市芸術文化協会理事を務められている。
 本書には、「ミスキトモミミタケヒコ」「神仙」「夜叉姫」「竹俣当綱」「散花仙女」の5編が納められた。本のタイトルとなっている「竹俣当綱」(たけのまたまさつな)は、米沢藩第9代藩主上杉鷹山の右腕として知られる。上杉鷹山の改革は、この竹俣当綱と莅戸善政(のぞきよしまさ)の二人の重臣の力なくしては実現できなかったであろう。中でも、竹俣当綱は家老として大きな指導力を発揮した。
 関ヶ原の戦い以降、会津120万石から米沢30万石に減封された米沢藩は、それでも家臣を減らさず財政難が始まる。そして、第3代藩主上杉綱勝が急死、世嗣ぎを決めていなかった手落ちにより、領国の石高は半分の15万石となる。吉良家から養子を迎えるが、その縁は米沢藩の財政をさらに逼迫させていく。若い鷹山が藩主になる頃には、米沢藩には20万両という膨大な負債が残されていた。
 本編の「竹俣当綱」では、米沢藩江戸家老だった竹俣当綱が御小性頭兼郡代所頭取の森平右衛門を米沢城内二の丸会談所で、刺殺した所から始まる。刺殺した場面は、臨場感に溢れている。そして、話はさらに鷹山の改革に立ちはだかる七人、いわゆる「七家騒動」へと続く。その時、鷹山は須田満主、芋川延親に切腹を命じた。「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」という鷹山の言葉は、改革のためには家臣の切腹をもやらざるを得なかった鷹山の深い苦悩と決意を感じさせる。
 鷹山は、藩士の教育を重視し、師細井平洲を米沢に招き、藩校興譲館を設立、そして養蚕、織物、漆、鯉、青苧、紅花など、今日の米沢の産業の礎ともいえる殖産振興を図った。中村晃氏のペンによって、それらの動きも生き生きと描かれ、竹俣当綱を通して改めて鷹山の信念と苦悩と偉大さを知らされた。
 ちなみに、この「竹俣当綱」は、米沢日報紙に平成9年1月〜10月まで掲載され、著者中村晃氏、挿絵を描いた斎藤千代夫氏、郷土史家の井形朝良氏、成澤礼夫の司会で、「歴史小説 竹俣当綱を語る」と題して、米沢日報紙の平成10年1月1日号に特集として掲載した。斎藤氏、井形氏はすでに鬼籍に入られた。あの時の座談会が今も脳裏に甦ってくる。(評 米沢日報デジタル 成澤礼夫)
 
著者 中村晃
発行所 文芸社
定価 本体1200円+税
ISBN978-4-286-16700-8
発売日 平成27年10月1日

(2016年1月19日16:30配信)