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書評 「草木塔に寄り添って」


soumokutou19 平成22年7月に設立された「おいたま草木塔の会」(大友恒則会長)が、平成27年の同会5周年を記念して、平成29年12月に発行した記念誌。同会は米沢市米沢市田沢コミュニティセンター関係者有志が始めたサークル活動や、他の取り組みが原点となっている。そして「輝くわがまち創造事業」(米沢市)の資金援助を得て、米沢市口田沢にあるに「草木塔資料室」を開設し、併せて同会事務局も置いている。
 草木塔は、石に「草木塔」と彫った単純な構造体である。江戸時代の草木塔の大半は、田沢地区をはじめとして山形県置賜地方に集中している。中でも米沢市入田沢の塩地平にある草木供養塔は、安永9年(1780)に建立されたもので、最も古く、これが草木塔の発祥とされている。安永9年といえば、米沢では上杉鷹山が米沢藩主として置賜地方を治めていた頃である。
 当時の人々にとって、炊事、風呂、囲炉裏などで使用する薪は熱源として、また家屋の建築には木材が使われたから、木は人が生きていく上で不可欠であり、とても大事なものだったと言える。江戸ではしばしば火事があり、米沢藩邸が焼失すると、わざわざ米沢から木を切りだしてそれを江戸に搬入した。それらの木々は、田沢のような奥深い山から切り出してこなければならない。人々は木を育ててくれる山の恵みに感謝を捧げつつ、山の神の怒りや祟りを恐れ、畏怖したのであろう。仏教では「草木国土悉皆成仏」と、万物全てのものに仏が宿ると教えている。仏教や山岳宗教などが混ざり合い、人々は「草木塔」という米沢独特の宗教を生み出した。
 今、この草木塔は地球の自然環境を守るという思想的、哲学的理念のもとで、新たな価値や意義から見直されている。元山形大学学長の仙道富士郎氏は、山形大学としてこの「草木塔」に着目して、大学として研究を本格化させた。仙道氏は学長を退任してのちに赴任した南米のパラグアイに「草木塔」を建立されたと聞く。
 さて、本書では 序章として「草木塔」の外観を取り上げて、置賜地方に建つ草木塔を江戸時代から昭和の時代まで、建立時期による時系列な紹介を行っている。第1章では、草木塔研究の歴史を紹介する。学問的な研究がなされたのは、昭和24年、藤巻光司さん(昭和2年生まれ)が、田沢の草木塔と出会い、実地調査と撮影をスタートさせたのが始まり。以来、今日までのいろいろな個人や団体による草木塔研究の流れが詳細に記述されている。第2章では、「おいたま草木塔の会」の設立から現在までの歩みを紹介する。平成22年7月19日に開催された「草木塔との語らい2010−おいたま草木塔の会から発信するー」では、前山形大学学長の仙道富士郎氏が田沢コミュニティセンターで記念講演を行った。その日に、「おいたま草木塔の会」が設立された。地道な活動が丁寧に、詳細に書かれている。第三章は、同会の会報が第7号まで掲載されている。また、我妻俊一氏、伊藤孝博氏による草木塔の発祥と発祥当時の田沢のリーダー、渡部勘左衛門に関しての論考がとても面白い。
 本書を見ると、田沢地区の人たちの草木塔に対する熱い気持ちが感じられてくる。要するに田沢地区の人たちにとって、草木塔は体を構成するDNAのようなものなのだろうと思う。素晴らしい内容と成果に、拍手を送りたい。(評者 米沢日報デジタル/成澤礼夫)

発 行 おいたま草木塔の会
    (米沢市田沢コミュニティセンター内)
     TEL 0238-31-2111
発行日 平成29年12月1日

(2019年2月5日16:40配信)