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書評 髙野 譲著『 連句集 続 独吟歌仙 』


book48-1 米沢市在住の元高校教員、髙野譲氏(84)が令和2年6月27日、「連句集 続 独吟歌仙」を発行した。平成29年5月に発行した「連句集 独吟歌仙」の続編となる。
 巻頭には、手塚山学院大学名誉教授の鶴﨑裕雄氏の推薦文が掲載されている。鶴﨑氏は、平成21年に始まる直江兼続を主人公とした大河ドラマ「天地人」が縁で、その前年11月から、川西町と高畠町で始まった連歌の勉強会で講師に招かれた。
 歴史を遡ると、関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601)8月、上杉家は会津120万石から米沢30万石に移封され、直江兼続はその年10月に京都で連句会を開催し、11月に米沢に戻ると自宅で連句会を開いた。さらに翌年2月、兼続は亀岡文殊堂で詩歌会を開いている。この頃の米沢は会津から移動してきた家臣とその家族約3万人と言われる人々の生活や住居の確保もままならないような状況だったと思うが、兼続らはそのような状況の中で敢えて、連句会や詩歌会を開いている。上級家臣らの士気を鼓舞する狙いもあったものか。兼続が亀岡文殊堂で詩歌会を開催したことに因んで、川西町や高畠町で連歌を学んだ人たちが中心となり、亀岡文殊堂奉納連歌が行われるようになり、その中に髙野氏もいた。
 髙野氏は昭和11年米沢市生まれ。山形大学文理学部で国語国文学を専攻し、母校の米沢興譲館高校を始め置賜地方の高校で国語科教諭として教鞭をとった。また母校の米沢興譲館高校野球部監督、同窓会会長を務めたことも記憶に新しい。
 最初に発行した「連句集 独吟歌仙」の冒頭、独吟歌仙事始の中で、国語IIの教材に『水無瀬三吟』の表八句が採られていて、それまで自身は連歌や連句は扱ったことがなかったが、その時に初めてやってみて生徒たちに実作させた。とても連句にはならないものが多かったが、班によってはいささか形をなしているものがあったという。髙野先生は、気軽に遊ぶつもりで作ってみようと、独吟連句で実例を示した。それは昭和63年のことであるという。それから20年後、髙野氏は亀岡文殊堂奉納連歌のメンバーとなり、45巻の独吟歌仙を詠み、「連句集 独吟歌仙」に収められた。その巻末には、連歌の発祥から構成、用語、連歌式目といった連歌の基礎が書かれてあり、連歌に初めて接する人への解説書としての役割も果たした。
 今回発行された「連句集 続 独吟歌仙」には、40巻の独吟歌仙が収録されている。最初の連句集の完成後、月1巻のペースで作られてきたものだ。発句から挙句までの36句の一句一句がどのような思いで作られたかが解説されている。俳句がその一句の中に、俳人の全感性を通してその情景を詠む。連句は俳句の36倍もの量的なスケールを持っている。だからそれは途方もないスケールを持つ一大叙情詩のように思えてくる。
 髙野氏の連句は国語教師としての文学的素養や、野球で鍛え上げられた精神力、そして人々をまとめ上げていくリーダーシップ、滲み出る人格などが加味されて、米沢の文芸界に「独吟歌仙」という新しい世界や燦然と輝く金字塔を打ち立てた。人の一生は短いが、その生涯を使って何かを成し遂げていくことの大切さを示してくれた。誠に感謝である。
 そして本書には、「実朝忌」のように、日本の歴史に出てきる政治家、宗教家、歌人、俳人、小説家、例えば実朝、西行、人麻呂、芭蕉など33人の忌日に因んで、その人物が作った作品が紹介されている。これもまたとても良い構成となっている。
(書評 米沢日報デジタル 成澤礼夫)
 
著者  髙野 譲(米沢市大町五丁目在住)
著名  「連句集 続 独吟歌仙」
発行日 令和2年6月27日
価格  非売品

(2020年6月28日18:00配信)