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竹田 歴史講座

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書評『殿様は「明治」をどう生きたのか』河合 敦著



tono 明治維新は、薩摩、長州、土佐、肥前などの西南諸藩の下級武士らが中心となり、260年余り続いた江戸幕府を武力で倒した革命だった。しかし、欧米の革命と違って、その中心は農工商の庶民階級ではなく、士農工商の身分制度の頂点にいた武士が自らの特権的な身分を自らが破壊したという特異な革命だったという特徴がある。その際に新政府軍と旧幕府軍との間で戊辰戦争が起こり、新政府軍の戦死者は3,500人余り、旧幕府軍は4,700人余りと、合わせて8,200人余りが戦死したが、これだけの革命にしては戦死者は意外なほど少ない。ちなみに旧幕府軍の米沢藩は280名余りである。
 明治新政府は中央集権化の手始めとして、明治2年(1869)1月に「版籍奉還」を断行した。薩摩、長州、土佐、肥前の藩主がまず領地や領民を天皇に返上し、残りの諸藩の藩主はこれにならった。旧藩主には、改めて「知藩事」に任じてそれまで通りの藩政にあたらせたが、それは実質的にそれまでの体制とそれほど変わらず、庶民の間には新政府への不満や反抗的な風潮も現れて各地で農民一揆が起こるようになった。
 そこで中央集権の実を上げるため、薩摩、長州、土佐から御親兵として、約1万人の兵力を東京に集めて軍事力を蓄え、それを背景に「廃藩置県」の断行に備えたのである。また木戸孝允、西郷隆盛、板垣退助、大隈重信らの各藩の実力者を参議にして政府の体制を強化した。
 そして、明治4年(1871)7月、「廃藩置県」の詔を発して、全国260余りの藩を廃止して県を設置した。その際に、「知藩事」を罷免し、強制的に東京に移住させたことで、旧藩主は国許、家臣、領民との繋がりが断ち切られてしまうことになった。そして県には新たに中央の官吏を県令として派遣した。ちなみに家臣も廃藩置県により藩からの禄は打ち切られた。
 しかも戊辰戦争に勝った藩主も、負けた藩主も一様に廃藩置県で領地は没収され、家臣は解散させられたからたまったものではない。例えば、江戸時代、領地替えがなかった米沢藩は260年余りにわたり支配者として君臨してきたが、その日を境にその地位から真っ逆さまに転落することになる。全国260余りの藩主たちが味わった天地が180度ひっくり返るような経験は、まさに言語に絶するものだったに違いなく想像に余りある。現代においても、既得権でぬくぬくしている人に、特区などで従来にないことを試みようとすると猛烈な反対が起きるのと同様である。しかし、明治新政府はそれを実施した。政府が行った過激な改革は他にもある。廃仏毀釈がそれであり、伊勢神宮の御師(おんし)の廃止、廃刀令、断髪令などもそうである。
 戊辰戦争時の勝者、薩摩藩主島津久光は廃藩置県が出されると、激怒したと伝えられる。それはそうだ。自分の想定したことと違う方向に行く明治新政府のリーダーである西郷隆盛や大久保利通は、かつては自分の家臣だった。その家臣たちが自分に命令をしてくるのだから腹の虫が収まらないのも理解されよう。
 藩主たちのその後がどうなったのか、どう明治という時代を生きていったのか、それが本書のテーマである。
 第1章では、維新の波に抗った若き藩主として、松平容保(会津藩)、林忠崇(請西藩)など4人、第2章では、最後の将軍・徳川慶喜に翻弄された殿様として、松平春嶽(福井藩)、山内容堂(土佐藩)など5人、第3章では、育ちの良さを生かして明治に活躍した殿様として、浅野長職(広島藩)、上杉茂憲(米沢藩)など5人が取り上げられている。また巻末には江戸三百藩「最後の藩主総覧」が掲載されている。
 これらの旧藩主の動きを知ることで、朝令暮改のような激しく移り変わった明治という時代や、その時代をたくましく生きた旧藩主たちの生き様が見えてくる。
 志中ばで解任されたとは言え、上杉茂憲が沖縄県令として行った善政は、今、米沢市と沖縄市の姉妹都市交流につながっている。この本は、米沢人はもちろん、全国民必読の書と言ったら大げさであろうか。
 著者の河合敦氏は、1965年、東京都生まれ。青山大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史研究家・歴史作家・多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。
(書評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)

著 者 河合 敦
発行所 株式会社扶桑社
発行日 2021年1月10日
定 価 本体800円+税

(2021年4月1日14:35配信)