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書評 置賜民俗学会「置賜の民俗第30号」特集 梅津幸保の仕事


1 民俗学の学習を通して、会員相互の親睦と向上を図ることを目的に事業を行っている置賜民俗学会(守谷英一会長)が発行する会誌。
 第30号の特集は、令和4年に山形県の斎藤茂吉文化賞を受賞した前置賜民俗学会会長の梅津幸保氏(昭和19年生まれ)を取り上げた。
 梅津氏のこれまでの業績は計り知れないくらいであるが、代表的なものでは、「梓山獅子踊」、「火縄銃」、「草木塔」、「前田慶次の会」、「萬世大路保存会」、「置賜民俗学会」などが思い浮かぶ。しかもその内容は実に学問的で、奥深く、領域が広い。まさに梅津氏は現代米沢における大学者とも言える人物である。
 特集「梅津幸保の仕事」と名付けたのは、実に言い得て妙と思う。梅津氏が置賜民俗学会で講演した「講演資料1 獅子踊の伝承」、「講演資料2 火縄銃の発砲演武」、「講演資料3 萬世大路の歴史と役割」、「講演資料4 草木塔の建立と普及」の4つを掲載した。
 この4つは、米沢の歴史文化、民俗と深い関わりがあるだけに、そのいずれもに梅津氏が深く関わっているというのは本当に素晴らしいことである。とりわけ、草木塔の研究では、置賜の山々を歩き、草木塔の建立場所や年代などをつぶさに調べ上げた。草木塔は、ここ山形県置賜地方に最も多く存在し、確認されているもので一番古いものは、1780年に建立された米沢市田沢地区の塩地平のもので上杉鷹山が藩主の時代のものである。
 「草木塔群と木流し」は、令和2年に林業遺産として(一社)日本森林学会から認定登録され、世界の環境問題と関連して、今、自然を畏敬し、感謝するという「草木塔精神」が改めて見直されている。
 置賜民俗学会会長の守谷英一氏は、梅津氏の仕事に関連して、「戊辰戦争時の米沢藩の鉄砲について」寄稿した。この中で、戊辰戦争時に倒幕派と佐幕派が所有していた鉄砲の種類と数量のグラフは大いに参考になった。それによれば、長州藩、薩摩藩は前装式施条銃ではあるものの洋式銃が多い。薩摩、肥前佐賀藩では、弾倉式7連発のスペンサー銃も所有している。一方、佐幕派の南部藩、庄内藩などは数は多いものの、南部藩は和洋混合で6千6百のうち、火縄銃が主となっている。火縄銃は重くて、有効射程距離が短く、射撃精度も劣り、これでは倒幕派の鉄砲の前に敵にならない。守谷会長は、戊辰戦争時の米沢藩の西洋銃に関する論考は大変に詳しくまとめており、誠に興味深い。
 清野春樹氏は、「草木塔とアミニズム」と題して、アイヌ語を駆使して地名の意味を解き明かしてきたが、最も古い草木塔のある「塩地平」の意味は、アイヌ語の「大きな崖」を意味する「シ・オチルシ」に和語の「平」を加えたものだという。ルシを省略すると確かに「塩地平」となる。「草や木にも魂が宿る」という思想は、仏教以前から「アミミズム」として日本に存在し、清野氏は「初期の草木塔は、木流しの場所に立てられたとし、山の神に捧げられたものと考え、それはかつてアイヌがイナウというアイヌの神と同じ気持ちで同じような場所に立てたのではないか」と指摘している。
 原淳一郎氏は、基調論文「近世会津領における湯殿山信仰習俗と宗教者の役割」を掲載。他に、加藤和徳氏、渡邊敏和氏、鈴木真人氏、清野春樹氏が会員の研究レポートを寄せている。
 置賜民俗学会研修会が令和5年10月21日に行われ、高畠町和田に和田民俗資料館などを訪問した。この場所では、清野春樹氏が発見、米沢市田沢地区で見つかった2代米沢藩主上杉定勝のいとこで、キリシタンとして処刑された山浦玄蕃(げんば)が製作したと考えられている「こて絵」を見学した。

書名 置賜の民俗 第30号
発行 置賜民俗学会
   事務局 長井市九野本2978 島貫方
   電話 0238−84−7172
発行 令和5年12月25日
頒価 1,000円(税込)