〜ダラス研究の現在と米沢牛の更なる発展を〜

ダラスの肖像写真を発見

=米沢牛歴史ロマンに一石を投ずる=

 明治4年10月、米沢の興譲館洋学舎に洋学科教師として赴任した英国人チャールズ・H・ダラスは、明治8年3月、任期を終えて横浜の居留地に帰る際に、飯豊町添川産の米沢牛三頭を引き連れていった。その米沢牛を友人にふるまった所、頗る美味だとの評判が広まり、以後、米沢牛は近江牛、神戸牛、松阪牛と並ぶ日本の四大牛としての地位を確立までに至った。ダラスに関しては依然不明な点も多いが、平成18年11月、ダラスの肖像写真が発見されたことから、米沢牛歴史ロマンに一石を投ずることになりそうだ。(株)米沢食肉公社代表取締役の尾崎世一社長と米沢市長安部三十郎氏に、対談頂いた。

歴史ロマンが膨らむダラスと米沢牛物語り

尾崎 安部市長は、市長就任前から「おしょうしな(ありがとう)」などの米沢方言の普及運動、先人顕彰会による火種塾、また米沢が生んだ幕末の志士雲井龍雄の慰霊祭など、郷土の歴史を現代において捕らえ直そうという活動に長年取り組んでこられましたね。米沢は、上杉家を中心にとても重厚な歴史資産を持っていると思いますがその一つに、チャールズ・H・ダラスと米沢牛の歴史ロマンがあります。春の上杉祭りで、2年前からダラスと昨今は米沢牛を登場させたのは安部市長のアイデアだとか。

安部 上杉祭りをもう一工夫したいと思い、2年前に米沢時代行列を始めてダラスを初めて登場させました。しかし、その時は牛を引っ張ってはいなかったので、見た方から「イマイチ本当らしくない」という声がありました。それではと、昨年ハリボテの牛でダラスに引っ張ることにしました。確かに食の面では、米沢牛が世に広まるきっかけを作ってくれたダラスの功績は最大級だと思っています。

尾崎  そのダラスに関しては、松野良寅先生が「興譲館世紀」という本の中で細かく書かれていますが、私も米沢牛に関わる仕事をしてきたこともあり、「米沢牛の系譜」という本を平成16年に纏めました。ダラスは、明治4年10月から明治8年3月までの米沢滞在の間に、色々な影響を米沢に残していますね。更に任期を終えて横浜の居留地に帰る際に、米沢牛のメス牛三頭を引き連れていき、友人にふるまった所、頗る美味だとの評判が広まり、以後、米沢牛は近江牛、神戸牛、松阪牛と並ぶ日本の四大牛としての地位を確立までに至りました。

 この点は米沢牛にまつわる歴史ロマンとしてはクライマックスだと思います。

ダラスと米沢牛物語り

安部 ダラスに関しては、米沢牛発展の恩人であるのですが、実は未だ本当の中身がよく知られていないところが数多くあります。松野先生や尾崎社長が研究され、ダラスに関して著されたというのは本当に有り難いことです。これから米沢の観光や食の面で、ダラスはもっと恩人に成り得るのではないでしょうか。教育者として米沢に赴任したダラスが、帰任に際して横浜の居留地に引っ張って行ったという話は本当にロマンが膨らみます。米沢として、このロマンをこれからどう生かしていくか、智恵の出しようです。

尾崎 米沢では、熱心な教育者として評価されていますが、横浜に帰り、そして上海に渡って貿易商に戻ったダラスは、二面性を持っていたということも見のがせません。逆に、貿易商としての素質があったから、米沢牛を横浜に持っていって商売に結び付けようと思ったかもしれません。

 米沢でのダラスは、礼儀正しく、米沢人には紋付袴で正装した話や、住民とは米沢弁で話をしたということも記録に残されています。横浜に帰ってから、米沢方言をまとめた研究も出版しています。

安部 ものごとには、二つのものが結びついて、はじめて価値が上るということがある。例えば、同じ骨董品でもただのキセルより上杉鷹山の使ったキセルの方が、遥かに価値はある。一種の付加価値です。ただの英国人が横浜に牛を引いて行ったのではなく、明治の初め、米沢では英学、すなわち英語による様々な分野の学問(代数、幾何学、経済学、地理、歴史など)を学ぶべく、法外な高給で招いた英国人教師が牛を引いていったというように、当時の米沢の特筆すべき状況や、上杉鷹山以来の米沢の好学進取の気風を強調した方が、ダラスの存在はより光ると思います。

尾崎 昨年11月になりますが、ダラスの肖像写真を見つけることが出来ました。平成13年に「米沢牛の系譜」をまとめるために、写真があるのかずっと探していたのですが、ダラスが一年ほど勤務していた大学南校(現東京大学)時代のエピソードを記した本「大学学生遡源」に、写真がありました。長年追い求めていたものが見つかって念願が叶いました。30代の頃だと思いますが。好青年であることが分かり、嬉しく思いました。

こうしてブランド牛の米沢牛はできあがる

安部 私も尾崎社長からダラスの写真を見つけたと連絡を頂きびっくりしました。何年もいろいろ調べられて大変だったと思いますが、米沢の歴史に新しい一石を投じて頂いたと思います。

尾崎 わが家は、明治時代から米沢牛の小売と肉料理の店を経営していましたが、私が小学生の頃の昭和27年から、ダラスに感謝しようということで毎年、牛肉を安売りする「ダラス感謝セール」を数日間行っていたことを覚えています。あの頃は、肉の小売組合が団結していましたから、組合として共同イベントをしたのでしょう。今の若い経営者の方へ働きかけることでダラス感謝セールなどは、これからのまち興しになるかもしれません。

安部 とてもいいアイデアだと思います。歴史とイベントを結び付けることにより、地元以外の観光客にも訴えることが可能ですね。もう一つは、ダラスの名前を使った新商品の開発も大いに期待したいところです。「ダラスと米沢と 米沢牛」の関係で、米沢牛のネーミングが広がるかもしれません。お菓子やお酒のメーカーでは、謙信、鷹山などのネーミングを使っているようですね。

尾崎 私は米沢食肉公社に勤務して10年になりました。米沢牛の畜産農家の方々とお話をさせて頂き感じるのは、やはり米沢牛への誇りがあることですね。日本で最高の肉牛を育てるんだというこの気持ちです。

 よその肉牛と比べても、米沢牛の定義は日本で一番きついくらいの条件です。メスの未産牛で最低30ヶ月の肥育月齢が条件です。昔は1000日肥育と言われていました。1000日、すなわち33ヶ月は、肉へのサシの入り具合が最高になります。米沢牛は平均では33ヶ月です。とても良い状態で屠畜されますから、最高に良い品質ということができます。山形の消費者関係団体の主催で、食べ比べを行いましたが米沢牛は圧倒的な評価を頂きました。

安部 私も米沢牛の評価でびっくりしたことがありました。昨年、小田原市で開かれた全国城下町サミットの際、そのまちの特産を市民にプレゼントということになりましたが、米沢市からは「米沢牛」と発表になったときに、「うオー」と大変な盛り上がりでした。小田原こうちん祭りでの物産販売では、米沢牛の串焼きの所だけに行列がずらっとできていて、米沢牛がいかに人気があるかわかりました。

尾崎 米沢牛は年間約2500頭余り生産されておりますが、その70%は米沢食肉公社で販売され、東京食肉市場には13%上場されます。残りの17%は家畜商の取扱分です。私は将来、この頭数を倍にしたいと思っています。というのも、米沢市民が米沢牛が高くて買えないという状態は、芳しいことではないと思うからです。卸売価格がキログラム当たり300〜500円位安くなるのが、理想ではないかと思います。勿論、銘柄品としての稀少価値は落とさないでという前提は維持しなければなりません。

安部 今の所、行政として肥育頭数をいつまでどうするという具体策は持っていませんが、市民が口にできないというのは、やはり産地として寂しい限りです。

 産地として、もっと市民が気軽に利用できる、購入できる価格帯でないと、広がりが出てきません。

米沢牛博物館、展示コーナー設置を

尾崎 岩手県奥州市前沢区には、世界的にも珍しい「牛の歴史博物館」があります。何度か、私も訪問させて頂いていますが、展示内容は世界的レベルとなっています。日本四大牛の産地、米沢にはそういった展示している施設がないのです。ダラスという人物と米沢牛の関連を観光客に紹介できれば、米沢牛ブランドにも大いに貢献するでしょう。ちょっとした展示コーナーがあればいいなと思い、いろいろな方々に働きかけています。

 また、米沢牛と関係の深いまち、例えば米沢牛の故郷である岩手県の岩泉町との交流も今後の課題だと思います。

安部 行政として、ぜひバックアップ申し上げたい。まず、民間サイドで交流を深めていただけると、息の長い交流になっていくと思います。

 牛の博物館や展示室については、お金がないからできないではなくて、お金はなくてもやれるやり方は何かという発想に転換すべきと考えます。今後も、様々な形で米沢牛のPRを図ることは大事なことです。歴史ロマンあふれる米沢を共に盛り上げていきたいと思います。

(米沢日報  平成19年1月1日号に掲載)