祝 米沢牛の恩人C・H・ダラスの顕彰碑が完成

ごあいさつ
「ダラスの功績を未来に伝える 顕彰碑建立にあたり」

ダラス胸像建立実行委員会
         実行委員長 尾崎世一
         (株式会社米沢食肉公社代表取締役)

 置賜の市民・町民の皆様におかれましては、新秋快適の候、ますますご健勝のほどお喜び申し上げます。

 昨年11月米沢牛の恩人、チャールズ・ヘンリー・ダラスの肖像写真が見つかり、米沢牛の歴史ロマンに大きな一石を投じる出来事となりました。この機会に、ダラスの功績をきちんと後世に伝えて行かなければという考えのもとに、この春にダラス胸像建立実行委員会を組織、顕彰碑の建立に向けてこれまで準備を重ねてまいりました。お蔭様で、本日10月6日、ダラス顕彰碑の除幕式を挙行する運びとなりました。

 建立にあたっては、広く募金を募らせて頂き、多くの企業・個人の方々より賛同を頂戴いたしました。この場を借りて心より御礼を申し上げます。

 ダラス顕彰碑は、山形県の観光の入り口とも言うべき、米沢市松が岬第二公園地内(松岬神社隣接地)に建立いたしますが、この顕彰碑が米沢牛の歴史ロマンに、そして観光に資することを念願するものであります。

 さて、置賜地方で生産される銘柄「米沢牛」の歴史は遠く米沢藩政時代まで遡り、天和元年(1681)、藩主上杉綱憲公の統治に、岩手県南部地方から農耕、運搬、採肥を目的に導入して領内の農家に飼育を奨励したのが、この地方の牛飼いの始まりと伝えられ、牛への課税も実施された記録が残っております。

 以来、三百年、我が国を代表する肉用種の黒毛和牛として確たる地位を占めるまでになりました。時、文明開化の明治4年10月、一人の英国人が東北の片田舎の地、米沢を訪れました。

 名をチャールズ・へンリー・ダラスといい、旧藩校興譲館洋学舎に教師として赴任したのです。このダラス氏は上品な人柄と豊富な教養の持ち主で学生に洋学の教授は勿論のこと、近代スポーツ等も教える多彩な才能の人でした。中でも食については、アングロサクソン民族特有の肉食文化をも米沢の人々に教え、横浜から連れてきたコックの萬吉に肉料理を作らせては、茶洗片町(現米沢市中央)の宿舎で同僚教師や学生を時折招いては欧米の食肉の薬学的効果から栄養学まで熱弁を振るい「食肉のすすめ」なる講義もしました。

 こうして、明治8年3月、置賜県との契約が満了し、横浜の居留地に帰るにあたり、滞在中に食べた米沢産の牛肉が非常に美味しかったので、居留地の仲間たちに「米沢からのおみやげ」として西置賜添川産の生きた牛を連れて帰ります。2、3日、牛を休ませてから、仲間に御馳走したところ、その牛肉の美味しさに仲間達は驚嘆、また驚嘆するのでした。

 こうして、明治8年の初頭、米沢産の牛肉が遠く離れた横浜の地で評判になります。間もなく、添川の家畜商がダラスの伝手で、この地の牛肉商と取引契約が成立し沢山の米沢産の牛を陸送することになり、一躍その名声を轟します。

 ダラス氏は米沢の牛を世に出してくれた「米沢牛の恩人」なのです。あれから130年余の歳月が流れた現在、銘柄牛として日々有名になってゆく「米沢牛」の歴史の一コマに、このような英国人の存在があったことを忘れてはなりません。

 我々、米沢牛に携わる者にとって、ダラス氏の功績を改めて想い返し、その恩に報いる趣旨から、この度氏の顕彰碑を建立し、末永く感謝の意を持ち続けたく思うところです。 

 市民・町民の皆様には、ご家族で是非、一度、顕彰碑を御覧に足を運んで頂き、ダラス氏、そして米沢牛への尚一層の御理解を賜われば、望外の幸せであります。

 ダラス建立実行委員会は除幕式・同完成祝賀会の後、「米沢ダラス協会」へと組織の衣替えを行い、今後もダラスの顕彰、命日の5月15日には慰霊祭、またダラスと米沢牛の研究拠点として活動を展開してまいる所存です。御指導と御鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。最後に、皆様の御多幸と御繁栄を心よりお祈り申し上げ挨拶と致します。
                  敬 具

 平成19年10月6日
(米沢日報 平成19年10月6日号から)


ダラス顕彰碑完成に寄せて

舩山達郎(川西町在住)

 現し世の先人たふとぶ営みのいしぶみ建ちしにもろびと集ふ
 秋ぞらの晴るるこの日を言葉にし除幕式開く讃美歌かなで
 著はしし和牛の歴史あふれさせ思ひ遂ぐるやきみの式辞の
 写真の顔銅板に映し出す企てのおもかげに見るは作家の覇気ぞ
 藩校の英人教師が食ひしとふビーフブランドとなり国国わたる
 この地よりいかに運ばれしやよしもなく米沢牛は横浜に発つ
 碑の題の文字の格調話題にし書家峰月とかたはらに酌む
 事成りしうたげに唄ふソプラノのダラス讃歌にたかぶらむかも


碑   文

米沢牛の恩人 チャールズ・ヘンリー・ダラス
(1842生〜1894没)

 チャールズ・ヘンリー・ダラスは、天保十二年(一八四一)英国ロンドンに生まれる。万延元年(一八六〇)貿易商として中国に渡り、文久三年(一八六三)来日す。

 明治三年(一八七〇)五月、東京大学の前身である大学南校に語学教師として奉職、明治四年(一八七一)十月には、旧藩校興譲館洋学舎に洋学教師として招聘される。明治八年(一八七五)三月、興譲館の任期が満了し、横浜の外国人居留地に帰る折り、米沢での滞在中に食した米沢産の牛肉が非常に美味だったことから、居留地の仲間に『米沢のおみやげ』として、生きた牛を連れて帰り御馳走した所、その美味しさが評判となる。これが米沢産の牛肉が世に出た最初の出来事となった。またダラスお抱えのコックである萬吉には、米沢で最初の牛肉店『牛萬』を開店させた。

 間もなくダラスの伝手により、添川村(現在の飯豊町添川)の生産者は、横浜の牛肉問屋と契約を取付、米沢産の牛を販売するに至った。そこから『米沢牛』の歴史が始まった。このダラスこそが、米沢の牛肉を文明開化の横浜に紹介してくれた『米沢牛の恩人』なのである。