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米沢日報連載「恥を恥じる」を語る

 「恥を恥じる」著者 島貫稔氏 × 挿絵画家 齋藤秀一氏

 

 平成21年1月から米沢日報に「恥を恥じる」を連載している作者で、川西町吉田在住の島貫稔氏とその挿絵を描く米沢市大町在住の齋藤秀一氏に、「恥を恥じる」の世界を通して、日本人の恥の文化、置賜の自然、宗教などについて対談をお願いした。
齋藤氏 島貫さんご夫妻にはしばしば我が家にお越し頂きありがとうございます。いつもご夫婦でお出かけされ、とても仲が良いですね。

 「恥を恥じる」が米沢日報で始まったのは、平成21年1月からですから、もう125回の連載になりました。ここでほぼ三分の二が終了したという段階です。私は田舎の原風景を描くことが好きですから「恥を恥じる」はほぼ全編に亘って田舎がその舞台であり、毎回楽しみです。残りの部分についても頑張って描かせて頂きたいと思います。本日は島貫さんとの対談を楽しみにしておりました。

島貫氏 齋藤さんとは、米沢市にある温泉でしばしばお会いしますね。「恥を恥じる」は齋藤さんとの二人三脚で連載して頂いております。とてもありがたいことです。毎回、齋藤さんの挿絵を見るにつけ、本当に素晴らしいと思います。米沢日報に掲載し終えた挿絵は毎回頂戴し、私の宝物になっています。

 私が著したこの「恥を恥じる」は、平成20年に東京の株式会社文芸社から出版しましたが、本書には挿絵は一枚も挿入されていません。今にして思えば、齋藤さんと早く出会っていたら、「恥を恥じる」の内容ももう少し違った展開になっていたかもしれません。しかし、今回、米沢日報に挿絵付きで連載ができて、地元の方々にも読んで頂ける機会ができたことは私にとり幸運だったと思っています。

齋藤氏 米沢日報から毎回10回分ほど掲載する単位で文章が私のもとに届けられ、それに合わせて挿絵を描いています。挿絵はその1回分の文章からどう完結した形で読者の方々にイメージを提供するか、その真価が問われます。さらには、そこで書かれた文章の中にある日時、空間、民俗、文化、宗教などの背景をどう表現していくか、私は自分の幼児から現在に至る人生経験をフル動員しています。

 島貫さんは戦前、戦後と私と年代的にダブル部分が多いですから、文章を読むと私の感性の中で閃くものがあります。島貫さんは、「恥」というものを徹底的に考えてこられたのですね。

島貫氏 戦後、米国女性で日本文化を研究した文化人類学者のルース・ベネディクトが「菊と刀」という本の中で、日本の文化の「固有の価値」を分析して、「恩や義理」そして「恥の文化」を取りあげました。「日本人とは何か」が初めて外国人から評価されたわけです。

 私も日本人は恥というものをとりわけ尊重し、大事にする国民であると思いますね。私が考える理由としては、一つには日本が島国という海に囲まれた土地の中で、日本人は外国に出て行くにはとても大変だったわけですから、どうしても狭い人間関係の中で生きていかなければならなかった。他人に迷惑をかけてはいけないという思いが強く働く民族なのです。また、鎌倉時代以降、800年近く武家文化が続き、そこでは儒教の教えが入り、礼儀を重んじ、主君のためであれば平気で命を捧げるという武士魂が日本人の根底に根強く残っていたからだと思うのです。新渡戸稲造は「武士道」を英文で書いていますが、切腹というのは武士が特に名誉を重んじたことの裏返しだと思うのです。

齋藤氏 私も 「恥」というのは、広い意味で日本人の根底を為すものであると思いますね。とりわけ、「恥」の意識は東北人の生活の中では、極めて大きな存在であると思います。小さな単位で生活していればしているほど、その意識が働きます。ある意味、それが地域共同体としての力にもなるわけです。一方、都会では隣りにどんな人が住んでいるのかすら分かりません。相手を気にせずに生きていける反面、人と人とのつながりが薄く、自分や他人が何をしていようと気にしないで生きていけるとうこともあります。あまり「恥」というものを考える必要性がないのです。島貫さんはどうしてこのようなテーマの小説を書かれる気になったのですか。

島貫氏 本のタイトルは、昔の農村が「恥」をとても大事にしていたことが念頭にありました。私は日本人を特徴づける独特なものに「恥の概念」があると思ったからです。この概念を深く掘り下げること無しに、日本人や私自身の人間理解はないと思いました。

 私は山形大学教育学部で生物学を専攻しました。人間もある意味、その生物界を構成する一部ですから、当然私の興味と関心を引いたわけです。人間の品性を高めるには知識だけではだめで、哲学、道徳、倫理、宗教、芸術などを幅広く学び、吸収していきながら魂に磨きをかけていかなければなりません。しかもそれはその人だけの一回性です。親がどんなに立派でも子供がそれを完全に引き継ぐということはありません。子は子でまた自分でそれを体得していかなくてはなりません。
 

齋藤氏 「恥」の概念は、日本だけでなくイスラム教の国々にもありますね。不倫などを犯した娘を家族の恥だということで家族が殺害したり、公開処刑などが中近東では行われているようです。女性の社会的な地位が低いイスラム教国では、「恥」の概念は個人的というよりも家族的なのですね。

 日本人の恥は、単純には自分の生活を他人に知られたくないところから来ているのかもしれません。やはり、これも日本人の文化なのではないでしょうか。

島貫氏 英語にも「ashamed」(恥じて)という言葉があります。恥という概念はどの民族にも少なからずある概念だと思いますが、日本人は独特なものがあると思います。

 ある人になぜ、「恥を恥じる」というタイトルなのかと問われたことがあります。田舎は個人的なことを公にしていくというのは余り得意ではありません。田舎といわれる農村は、結構よそと比較して自分を大切にしているのかもしれません。だからよそに対して恥かしいことはしないというのが根本にあるのですね。

齋藤氏 「恥を恥じる」では、時代背景の違いはあると思いますが、第一章で、村の長老が采配して、これから戦争に赴く独身の若者を結婚している若い女性が慰安するという物語がありました。

 性的な描写が作家の渡辺淳一さんも真っ青になるほど見事なものでした。あれだけのディテールを普通描くことは並大抵では難しいと思うのですが。

島貫氏 私は歴史、宗教などの文化面で、深い勉強したことがありません。ですから、私の実体験から生まれた文章であるというよりも、私の想像で描いた部分がほとんどなのです。先輩からは出版した頃は「スケベ野郎」と言われましたが、その後、米沢日報さんに掲載していただいたことで多少世間の評価も変わってきたと思います。

 私自身は理系出身ですから、文章がどうしても理詰で展開する傾向は否定できません。目標とした全てをこの「恥を恥じる」の中で描ききれたとは思えませんが、ある程度は伝えることはできたと思います。書き始めにはあんなに長文になるとは思いませんでした。出版社からは多少の印税が送られてきて、全国で売れていると知りびっくりしました。

齋藤氏 第一章の中で、戦時中における家族というものに焦点を当てていましたね。戦時中そして終戦直後、戦後の人々のものの考え方や行動が大きく変わったというのが「恥を恥じる」の中でよく表現されていると思います。まさにあの通りでした。島貫さんは戦後の復興も含めて、やはり、その時代を生き抜いてきた歴史の証人だから為せる業だと思います。

 第二章以降では、戦後の新しい時代に生きる女性たちがリアルに生き生きと描かれています。

島貫氏 戦前の農村の女性の生き方は、本当に「恥」を凌いで生きてきたと言っても過言ではありません。人の口によっていろいろなゴシップが地域の中で話が出ることがいやだったからに違いありません。しかし、日本人にとって、「恥」は社会的に生きていく上で宝だと思うのです。そのお蔭である程度のモラルが保たれている部分がありましたから。

 今の日本を見てください。表現の自由という名のもとに、エロ雑誌やアダルトビデオなどが町の中に氾濫しています。インターネットでは、世界中からいろいろなエログロナンセンスと思われる情報が発信され、性が商品化され、人間としての「恥」の概念というとても大事なものが失われています。これは嘆かわしいことです。

 戦後の新しい時代に、女性たちの活躍なしには日本の発展は無かったことを私は訴えたかったのです。

齋藤氏 仕方がないのかもしれませんが、恥というのは善し悪しは別として、その時代、その国や地方、生活で変わって行くように思います。島貫さんが描いた生活の裏にあるというのは、ある意味あの当時の米沢の風俗習慣を背景にした「恥の文化」だったのではないかと思いますから、それは極めて独特のものが描かれていて興味深いと思います。

島貫氏 私は昭和30年、山形大学教育学部を卒業後、新米教師として米沢市立三沢西部中学校入田沢分校に赴任しました。懇親会で若い人たちと話していたときに、その地域で昔あった話が出てくるのです。

 例えば、田沢の奥には大滝という場所があって、地域の人たちは元日参りにいくのだそうです。ある時にその滝のところで、それまでに3人の女性が座禅を組んで亡くなっていたということを聞いたことがあります。皆、キモノをきちんと畳んでいたそうです。私がいたときにそのような言い伝えをお聞きしたことがありました。信仰深い女性がキツネか何かに取り憑かれると、このように自分の身を削ってしまうのです。

齋藤氏 私も大荒沢山についてエッセーを書いたことがあり、その場所に行ったことがあります。大荒沢山というのは、今から800年前に山岳宗教(修験)が開いたものです。そこはかつては女人禁制と言われていました。もっと山頂に栂が森神社があります。

 当時の人々は禊(みそぎ)のために、その場所に籠るのです。大荒沢山の前には、大師山という弘法大師を祀った山があります。だからこの山は木を切ったりはせず、自然のままになっていると聞いたことがあります。大荒沢山は信仰の山であり、神原という地名は神様の原であるということが調べていて分かりました。

 それが背景にあるように思います。これは奥会津に似ているところがありますね。山の神、信仰をどのように描いていったら良いか。信仰している人の精神的なものがそこには現れます。

島貫氏 私は川西町吉島に住んでおりますが、山だけでなく部落の中にも、いろいろなところに神様や御地蔵様などがあります。由来を聞いてみると、とても興味が出てまいります。当時の人々は、今のように医学的な水準も高くないですから、ちょっと病気をするとそれが命取りになるわけです。また自然の猛威にはどうしようもないわけです。自然を畏れる気持ちや感謝の気持ちを表わすための信仰、お祭り、そして某らの建立物を作って神様の怒りを鎮める努力をしたのです。

 米沢市田沢には、置賜地方独特の草木塔というものが建立されています。燃料として、住居の材木として無くてはならないものが草木ですが、当時の人達はその大切さを身にしみて感じていたのだと思います。

齋藤氏 アイヌの人たちは熊祭りをしていますが、熊を殺して肉を食べたり、毛皮を利用しているが、ちゃんとお祭りをして供養している。お祭りはたましい(霊)を自然に返す儀式なのです。

 先の東日本大震災では、2万5千人もの貴重な命が失われました。自然の力を前にすると、私達人間は何とちっぽけな存在であることか、ということを改めて教えられます。エネルギー、環境、資源、食料、水などこれからの人類は多くの課題を背負っていますが、まずは人間の驕りを戒めていくことから始めなければ問題の解決はないと思います。

島貫氏 そうですね。今は車は1家に数台、エアコンやテレビは各部屋1台、オール電化の住宅に住んでいるというのが当たり前の中で、日本人は生きています。東日本大震災を受けて、今度は節電しなさいとなった。やはり、日本人は豊かさを先取りした感があります。「少欲知足」という言葉がありますが、もっともっとという欲望はきりがありません。この辺で、自分の生活の中で何が大事なのか、見直してみる必要があると思います。あまりに遠くても仕方ありませんから、当面の日本人の原点は戦後のあの時期でしょう。

齋藤氏 先日、炭坑労働者を描いた福岡県飯塚市出身の絵師山本作兵衛氏の絵画45点がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「記憶遺産」となりました。父ちゃんの堀った炭田の後ろで、腰巻き一つでオッパイを出して裸で仕事に励んでいるお母ちゃんの様子が描かれていました。そのような生活は、近代化以前の日本にはどこにもあったものだと思います。日本人の原点、日本人とは何かを見つめる材料となるものがこれからもどんどん発掘されていくことを期待しております。島貫さん、本日は対談ありがとうございました。

島貫氏 齋藤さんの芸術活動が益々発展して行きますことを祈念します。ありがとうございました。

■本の紹介
「恥に逆らえば生きられぬ
  恥に流されれば示しがつかぬ」
 疎開先の山里に生き、戦後教育の光と影に生きた母と娘二代の「女の一生」
島貫稔著
    「恥を恥じる」
発行所 株式会社文芸社
定価 1600円(税別)
ISBN978-4-286-05197-0
C0093

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