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寄稿 米沢夏の風物詩「米沢灯篭流し」四〇年の歴史 

endou19 寄稿者略歴
 遠藤史郎(えんどうしろう)
 昭和14年、米沢市生まれ。昭和55年10月、堀立川灯篭流 し設立準備委員に参加、企画係となる。昭和56年8月、第1 回灯篭流し庶務会計、現在に至る。


 
米沢夏の風物詩、「米沢灯篭流し」四〇年の歴史
 — 歴代会長、実行委員の熱い思いで継続 —

 米沢の夏は7月に開催される米沢サマーフェスティバル(米沢青年会議所・米沢商工会議所青年部)、7月30日の「東北花火大会」、8月1日の「愛宕の火祭り」、8月第一金曜日の「米沢納涼水上花火大会」、そして各地の神社、寺社や町内会で開かれる夏祭り、盆踊りなど、いろいろなイベントで鮮やかな思い出が綴られていく。
 そして、お盆も終わりとなる8月16日、米沢市城西の掘立川橋から文殊橋間を流れる掘立川を会場に開催されるのが、「米沢灯篭流し」である。年々規模が大きくなり、今では米沢の夏の風物詩の一つに数えられるまでになった。
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lantern-2 「米沢灯篭流し」は、昭和56年(1981)の第1回から数えて、令和元年の今年で39回目を迎える。
 「米沢灯篭流し」の歴史を辿ると、昭和55「年(1980)、今は亡き宍戸翠さん、鈴木浪雄さんの二人が、個人的な思いを込めて川施餓鬼供養として始めたものである。(写真右=第1回米沢灯篭流し、後列右端が田中駒蔵会長)

 掘立川橋近くに住んでいた故田中駒蔵氏(元米沢商工会議所会頭)がそれを見て感動し、企業や個人に協賛を募って本格化した。昭和56年4月、有志が集い、数回の会合を開催して実行委員会が立ち上がった。この時に初代会長となったのが田中駒蔵氏である。私も田中駒蔵氏の近くに住むことから、実行委員として参加した。
 実行委員会が主催した「米沢灯篭流し」の第1回目は昭和56年8月16日に開催され、当時は「掘立川灯篭流し」と呼んでいた。最初の頃は灯篭流しを行うためのノウハウが不十分で、灯篭がうまく流れないこともあったが、戦後間もなくから開催されている高畠町糠野目の灯篭流しを始め、各地の灯篭流しを見て歩き、灯篭舟の形や材料、流し始めから舟の引き上げまでの時間とろうそくの長さなど、数々の試行錯誤を経て、現在の形に落ち着いた。
 最初の開催から数年が過ぎた頃、実行委員会で話し合われたことは、灯篭流しを継続するための経費をどう捻出していくかという点だった。そこで掘立川橋と文殊橋に、広告灯を設置してはどうかというアイデアが出された。地元企業や市民、諸団体から広告費を頂いて事業資金に充てるというものである。これは大きな収入源となり、以降、灯篭舟の寄付と合わせて、事業資金にある程度の目処がついた。
 昭和62年(1987)以降、広告灯の協力をお願いして回る中で、米沢仏教興道kuyou19会青年部、米沢直江会の方々と深いつながりができたことは大きな成果だった。特に、赤尾雷水様(現、養善寺住職)のご紹介により、米沢仏教興道会青年部の方々に、平成元年頃(1889)から灯篭を川に流している間、読経供養をしていただけることになった。
(読経供養する僧侶 平成12年)

 また建設事務所河川課(現国土交通省山形河川国道事務所)にお願いし、灯篭の流れが良くなるように、川の中にブルトーザーを入れてもらったのもこの頃である。
 「掘立川灯篭流し」が市民の間で、米沢の夏の風物詩と受け止めていただけるようになり、観光客にも米沢の魅力を知ってほしいとの思いから「米沢灯篭流し」と名称を変更した。
 ここに来るまで5年、実行委員の出入りもあったが、研修会や親睦会をすることで、実行委員会の結束が強まった。昭和62年10月には会則ができて、「米沢灯篭流し」の開催目的として、「直江兼続公の遺徳を偲び、その善政に感謝し、米沢市民先祖代々の供養を行い、川施餓鬼供養の願いを奉じるため」と明記された。
 掘立川は、関ヶ原の戦い後に会津から米沢に移封された上杉景勝が住む米沢城の西の守りを固めるために、直江兼続の命によって掘削された川である。
 掘立川橋近くには、直江兼続配下の直江衆といった武士の末裔が住む地域がある。そういったことも目的に反映された理由の一つであろう。目的が明確になったことで、毎年、「米沢灯篭流し」を開催する意味がはっきりしたことになり、実行委員のやりがいや、後継者へバトンタッチして行く上でも大きな意味があったと考える。
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lantern-4 初代会長の田中駒蔵氏は、昭和55年から昭和63年2月までの約8年会長を務められ、その後に引き継いだのが、二代目会長の猪口長作氏である。昭和63年3月から平成14年3月まで15年間にわたり、実行委員会を引っ張ってくださった。会長、そして実行委員は実にボランティア精神にあふれ、やる気に満ちた人たちが集まった。(写真右=灯篭を流し始める場所)

lantern-5 平成12年(2000)は、第20回の開催だったことから、この年にささやかな20周年記念式を開催した。この間、大雨のため、川が増水し灯篭を流すことができず、川べりに数百の灯篭を並べてろうそくに灯をともして読経供養した年もあった。(写真左=大小様々な灯篭を組み立て中)


 ただ実行委員会も発足から20数年が経つと、発足当時には40代のバリバリだった世代も60代に入り、70代、80代の実行委員もいる中で、猪口会長の体調不良も相まって、実働できる実行委員が段々と少なくなってきた。後継者の育成は緊急の課題であった。
 平成14年(2002)の第22回米沢灯篭流しは、そう言った実行委員会体制の面で、過去にない困難さの中でのギリギリでの開催となった。
 そのような中で、平成14年4月、現会長の戸田弘氏を三代目会長に迎え入れ、この年にはさらに6名の新実行委員が加入することになり、実行委員会は一挙に息を吹き返したようになり、最大の危機を乗り越えた。新会長の下で、心機一転、新たに法被を作り旗を掲げて、新たな組織作りへと邁進することになった。
 平成22年(2010)、米沢灯篭流しは30周年を迎えた。その際、米沢灯篭流し実行委員会として、三十周年記念誌を作成した。それは、これまでの歴史を振り返り、未来につなげていきたいという思いからだった。第30回目には、地域に住む小学6年生の子供たちに、将来の夢と希望を書いた灯篭を流してもらった。この子供達が大きくなってその夢や希望を実現しようとするときに、かつて「米沢灯篭流し」で自分の気持ちを流したなと思い出してもらうことで、大きな力になってもらえたら嬉しいと思う。
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lantern-6 「米沢灯篭流し」も来年でちょうど40年の節目を迎える。振り返ると紆余曲折の40年だったが、これまで継続できたのは、このイベントを何としても継続していきたいという歴代会長、そして実行委員たちの熱い思いが支えだった。そしてその思いに応えて下さった企業、市民の皆さんの応援があった。
(写真右=掘立川橋をくぐりゆっくりと流れていく灯篭)

 「米沢灯篭流し」は始まって以来、すべてにおいて、一度の事故もなく続いていることは、神仏のご加護だと思っている。
 昭和に始まり、平成に発展したこの「米沢灯篭流し」は、令和という時代にもきっと人々の夢や希望を体現するものになると思う。これからも地域の催事、米沢の風物詩として次の時代に引き継がれていくことを、実行委員会として心より願っている。
 そしてこれからも市民の皆さまよりのご支援、ご協力を賜りたくお願いを申し上げたい。(米沢日報 令和元年8月2日号掲載)

(2019年8月17日18:30配信)