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「日本の宿古窯女将になった幸子さん」
梅津 春子
私は昭和16年春、米沢高等女学校に入学しました。私と同じ3組に、高畠町にある料亭の娘さんである井田幸子(現姓佐藤幸子)さんがいました。
幸子さんは言葉が綺麗、成績も優秀でクラスの中に多くの友達ができて、私も仲良くさせて頂きました。その年12月、大東亜戦争が始まり戦争が激しさを増し出征していく男の人が増えると、私達は農家や軍需工場へ学徒動員に駆り出され勉強どころでは無くなりました。幸子さんは神奈川県の軍需工場に行きましたが、私は弟が学徒動員に行った先で怪我をした事から地元に残り、米沢市花沢にある猪俣という機屋で、軍服を縫製する仕事に従事しました。そして敗戦。学徒動員のため、私達の卒業式は半年遅れの昭和20年9月に行われました。
戦後、幸子さんは上山市にある旅館の女将になり、ご主人と幸子さんの頑張りで、今では「日本の宿古窯」という日本有数の旅館に発展したことは周知の通りです。幸子さんの娘さんは現在、東京銀座で「銀座古窯」の女将として活躍されております。
昭和60年、幸子さんが「からっぽの金庫から」という本を出版し、私は古窯に出掛けてその本を求めました。そこには商売というものは、「真心を売り、感謝を買い、信用を貯める」ということが書かれてあり、私はとても感動しました。
私は戦後モノのない時代、手に技術を付けようと羽崎洋裁学校に進み、その後にウエイトレスや縫製など色々な仕事を経験しましたが、85歳の今日も健康に恵まれ、元気に生活しております。(うめつはるこ@米沢市消費生活研究会会員)
平成26年2月8日 米沢日報掲載
平成27年1月30日14:45配信