「ベートーベンの墓を詣でて」(上)
梅津 伊兵衛
私が音楽好きになったのは、旧制米沢中学校(現米沢興譲館高校)時代。米沢市内にもアメリカ占領軍の兵士が跋扈(ばっこ)した戦後の荒廃期。当時の千喜良校長がせめて生徒に豊かな情操の心を養育しようと、音楽教師に滝沢美恵子先生を招聘した。
中学3年の私には美しい滝沢先生はあこがれの光輝く天使に見えた。滝沢先生の授業が私のクラシック音楽熱に火を灯した。バイオリンやギターなどの楽器を自己流で練習した。
私を「ベートーベン先生」(役立たずのドラ息子)と名付けたのは元社員の故高橋市太郎先輩である。あの頃から楽聖ベートーベンが私の大のお気に入りで、レコードを聴いては遠く音楽の都ウィーンに憧れを抱いた。モーツァルトも大好きだが、モーツァルトは神童でベートーベンは人間臭い。
そんなこともあって、今から10年程前、成澤社長からけしかけられ、米沢日報に「私のベートーベン物語」を5年間245回連載し、音楽と私の人生についてエッセーを認めたことがあった。(続く)
(うめついへえ@米鶴酒造株式会社代表取締役会長)
平成26年3月16日 米沢日報掲載
平成27年1月30日14:45配信