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竹田 歴史講座

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          わが交遊録


「米沢に近藤勇の首があると知って」
                          小林研一郎
   
 昭和32年、米沢商業高校を卒業した私は、その後、建設会社勤務の関係から千葉県船橋市に住んだ。同高校同窓会役員の推薦があって、私は昭和62年から平成2年まで同校同窓会千葉支部幹事を務めさせて頂いた。確か、米沢商業高校創立100周年時だったと思うが、その席に高校の同年である森川(旧姓二階堂)弘子さんが出席されていた。聞けば、パッケージング会社社長とのこと。
 森川さんは歴史に深い関心をお持ちの女性で、都内にある新選組局長近藤勇の史跡を訪れたことがあるとのこと。その時に、森川さんから「近藤勇の墓が米沢にあるよ」とお聞きした。私は「幕末維新時に、尊王攘夷の志士たちを震い上がらせたあの近藤勇の墓が米沢に?」と、半信半疑だったが、私も歴史好きで市川市立博物館友の会の会員になっていたので、頭の片隅に忘れずに留めておいた。
 それから4年、5年過ぎて、私は定年・嘱託を終えたのを機に一家で米沢に帰郷した。森川さんから聞いた話を確かめたいと思い、近藤勇の墓があるという米沢市鍛冶町の高国寺を訪問した。初めて西山啓志住職夫妻にお会いしたが、住職夫妻も「桐生から来た近藤金太郎という人が、板橋で処刑された近藤勇の首を米沢に持ってきて高国寺に埋葬した」ということを先代住職より聞いておられた。私は「ああやっぱり、森川さんが言われたことは本当だったんだ」と思い、その後に設立された「近藤勇のロマンを語る会」の会員となって活動している。(こばやしけんいちろう@詩吟神風流米沢支部範士)

平成26年3月30日 米沢日報掲載
平成27年1月30日14:45配信