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「米高・東校舎美術班時代の思い出」
増子 幸
私は戦前、米沢高等女学校に入学し、昭和26年春に米沢高等学校東校舎(現在の米沢東高校)を卒業しました。3年生の時の昭和25年、米沢市内の第1、第4高等学校が統合、米沢高等学校東校舎、西校舎(現在の米沢興譲館高校)と改称されましたが、その時の校長先生は千喜良英之助先生です。私は美術班に所属しましたが、班員は両方で25名位、活動は東校舎、西校舎が一緒でした。顧問の先生は窪島先生、佐竹先生のお二人です。その年に第1回総合文化祭があり、美術展覧会を開催するなどなかなか活発な活動を行いました。
そんな中、学校側から帽章バッヂを制定するために生徒たちに図案の募集がなされました。私達美術班は日頃の練習を発揮する時だとばかり、ほぼ全員がそれに応募しました。その結果、同じ美術班で西校舎の小林治郎さんの図案が全校生徒による投票で選ばれたのです。それはゴゼンタチバナの花の上に、高校の「髙」が配置されています。ゴゼンタチバナは、北海道から本州、四国に分布する多年草で、6月から8月にかけて花を咲かせます。皆で喜び合ったことが昨日のように思い出されます。
卒業の際、美術班全員でノートに寄せ書きし、写真とともに私の手元に残っています。その写真の中にある主人の従兄弟の今泉清さんも、小林さんも鬼籍に入られました。美術班や帽章制定の思い出が私の記憶の中で重なり合います。(ますこみゆき@増子薬店代表)
平成26年5月11日米沢日報掲載
平成27年1月30日14:45配信