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竹田 歴史講座

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          わが交遊録


「占領軍司令官からX'masパーティーに招待」
                          木村 品子
   
 太平洋戦争が始まってから、東京上野で古美術を扱っていた父木村東介の出身地米沢に疎開した私は、戦後もしばらくの間食料事情が悪い東京には戻らず当地に留まりました。
 芸事は6歳6月6日からと言いますが、父はその言葉通りに私を幼少から日本舞踊を始めとしていろいろな芸事を習わせました。松岬国民学校(現米沢市立第一中学校の場所)の近くに、やはり米沢に疎開していた日本舞踊の花柳和子先生がおられ、花柳流の中で相当のお立場にあった方です。戦前、戦後と私や妹、従姉妹が一緒になって花柳先生のもとに通いました。
 昭和20年8月15日、戦争が終り、その年秋に米軍からなる進駐軍が米沢に入り、翌年6月頃には、司令官ら高級幹部の家族が海を渡って米沢にきました。恐らくその家族の歓迎会だと思うのですが、花柳和子先生を筆頭に私ら弟子達も当時占領軍の娯楽施設として使われていた上杉伯爵邸の庭で日本舞踊を披露したのです。謝礼にそれまで見た事もないチューインガムやチョコレートをもらったり、コーラを飲んでとても嬉しかった記憶があります。
 同年12月24日、米沢市長(あるいは助役)夫妻、占領軍の窓口だった小関高治警察署長夫妻らが出席して、門東町にあったフランシスコ司令官の宿舎(長谷川酒造宅)でクリスマスパーティーが行われました。そこに私の両親、私姉妹とで招待を受けたのです。同司令官の宿舎には電蓄があり、わが家から持参したレコードをかけて、私と妹は司令官のご家族らの前で踊りました。
 司令官は私達姉妹の踊りをとても喜ばれ、その後進駐軍が神町に移動してからも神町まで出掛けて将兵を前に踊りを披露しました。司令官は背が高くスマートで、とても優しかったことを憶えています。(きむらしなこ@(株)羽黒洞木村東介代表取締役、東京都文京区湯島在住)

平成26年7月20日米沢日報掲載
平成27年1月30日14:45配信