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コロンビア大学教授ジェラルド・カーティス氏


 東日本大震災によって事故を起こした東京電力第一原子力発電所の放射能から米沢市へ避難した人への聞き取り調査を行うために、6月16日、米沢市を訪れた国際政治学者で、コロンビア大学教授のジェラルド・L・カーティス氏にインタビューした。(取材は成澤礼夫米沢日報社長)

ーーこれまで米沢には来られたことがありますか。

カーティス氏 初めてです。

ーー13年前の1998年、私はカーティス先生にインタビューするために、ニューヨーク市にあるコロンビア大学の先生の研究室を訪れました。ここにそのインタビューを掲載した米沢日報の新聞を持参しました。(1999年元旦号)

カーティス氏 (新聞を見て)わ〜、とてもびっくりですね。

ーー日本にはいつ来られたのですか。

カーティス氏 今回は4月14日から7月30日まで(滞在します)。

ー来日の目的は。

カーティス氏 僕は数年前から年の半分をニューヨーク、半分を東京で生活しているんですよ。向こうの大学で秋の学期に教えて、春の学期は休職するから、大体、年の前半は日本にいるのです。(こちらでは)自分の研究をしたり(しています)。普通は1月頃に(日本に)来るのですが、今年はニューヨークで用事があって、地震の時はニューヨークにいたんです。そして(日本に)戻ってきて、今回は大震災の取材をしてものを書いているんです。僕にできる事が何かあればと思ってね。これまで宮城、岩手、福島に行きました。今日はここ(米沢)に来て、ここから南相馬にもう一度行って、来週には気仙沼とか石巻に行きます。(米国に)帰る前にもう一、二回行ってできるだけ詳しく調べようと思っているのです。

ーー東日本大震災の被災地を訪れて、どのようなリアリティ(現実)をご覧になられましたか。

カーティス氏 一言で言えば、東北人というのは非常に我慢強くて辛抱強くて、弱音を言わない、文句を言わない、頑張り屋だということを全世界が感心しているのですね。僕も感心するのですけれど。

 しかし、例えば避難している人たちと5分でも10分でも話せば、どれほど苦しんでいるのか、将来に対しての不安感、希望がない。政府が何をしてくれるのかというはっきりしたメッセージがない。それに対してのあせり、心配、不安、もう本当に胸が痛くなる位に強いですね。特に年寄りが多いでしょ。年寄りは抽選で仮設住宅に入れば、部落の皆から離れたりするから行くのはいやだとか(思うのではないですか)。

 東京にいると、分らないようなことがすごくあるのです。だから、僕は東京の政治家たちがとにかく、お金と権限を地方に渡し、現場を解っている人たちに任した方が良いというのを(印象として)受けました。

ーー政府の要人に、お友達が沢山おられますね。調査した結果をもとに提言できますね。

カーティス氏 友達でしたが、僕は最近、批判的な事ばかり言っていますから、だんだん友達がいなくなりました。(笑い) でも伝えていこうと思っています。

【聞き取り調査後にマスコミからの質問に答えて】

ーー聞き取りを終えての思いは。

カーティス氏 子供の事が心配で皆行動をしています。子供がいなければ違った行動を取っただろう。ご主人を置いて(きてまで)子供と逃げてきたでしょう。

 僕は宮城や岩手に行ったがあそこはやはり違います。家も流されて何もない。無くなったものはもう戻って来ない。ある意味、あきらめなければならない。じゃあ、どうしようかと前向きに考えますが(原発による被災者は)かえって、不安というか、挫折感がもっとあると思います。津波にやられた所と違って、飛んでくる、見えないという放射能の問題で逃げてきた。家もあり家族もまだそこにいる。目に見える被害は何もないのに、戻れるのか、戻れないのか分からない。政治家は大丈夫だ、大丈夫だとばかり言っている。政府が戻れないと判断するのであれば、早く正直に言うべきです。いつまで何がどうなるのか、分からないというのはかわいそうすぎる。

※カーティス氏の発言中( )内は編集部が補筆。



Gerald L. Curtis
 1940年、米国ニューヨーク州ニューヨーク市生まれ。ニューヨーク市にあるコロンビア大学教授。専門分野は日本の政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策。1967年、第31回衆議院議員選挙における大分2区の自民党衆議院議員候補佐藤文生陣営を題材にして、立候補から初当選までの日本の選挙運動を分析した博士論文を執筆。同論文を基にして『代議士の誕生』を出版。