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元愛知県吉良町長 山本 一義氏


 江戸時代、上杉家と吉良家は三重の縁で結ばれたという歴史的な背景をもとに、平成22年、米沢市と旧吉良町(現愛知県西尾市)の民間交流団体の間で親善交流盟約が締結された。当時、吉良町長として強力に後押した山本一義氏に、両市交流の意義や今後の展望について抱負を聞いた。

ーー山本元町長の熱意で、親善交流盟約の締結され、両市の交流が深まってまいりました。

山本氏 私の熱意以上に、安部三十郎米沢市長の熱意が強かったと思います。縁戚関係の深い旧吉良町との人的交流あるいは文化交流を図っていこうという意図をお持ちでしたが、私もその考えに大変に共感しました。

 旧吉良町は西尾市との合併が決まり、自治体としての「吉良町」は無くなってしまうという状況の中で、米沢との親善交流のチャンスが途切れる危機感がありました。

 私は、米沢市の状況をお聞きし、まず民間同士で交流を始めるのが良いと思い、信頼する颯田洪氏にお願いして「吉良・米沢親善交流会」(颯田洪会長)を立ち上げ、米沢側でも、「米沢・上杉吉良温故交流会」(種村信次会長)が旗揚げしたのが経緯です。両交流会ともに積極的な活動し、これからも各種イベントを開催や掘り起こしを図りながら地道に賛同して下さる方々を拡げてまいりたいと思います。

ーー赤穂浪士からの視点で作られた『忠臣蔵』は、長い間、米沢ではタブーとされてきました。米沢と吉良の二つだけが300年間、全国を敵に回して、『ノー忠臣蔵』を唱えてきたのですね。一昨年米沢でも上演された芝居「もう一つの忠臣蔵〜吉良左へ兵衛義周物語〜」、そして今回、米沢で公演された田中ふみえさんによる、「語り『富子の独り言』〜米沢と吉良の絆〜」などのように、『忠臣蔵』には別の視点があるということを吉良は独自の思想をベースに全国発信しています。

山本氏 「忠臣蔵」、「赤穂浪士」といった日本人のメンタリティーに奥深く入っている状況をすぐに変えることはできないかと思います。ただ歴史家や知識人の中にも、「実はあの忠臣蔵は真実と違う」という方が多くおられることを聞きます。向こう300年くらいの時間が過ぎれば『忠臣蔵』も逆説になるのではないですか。

 一朝一夕に、『忠臣蔵』の物語を変えることはできませんが、真実は必ず晴らされると思っていますので、後の時代に繋ぐ人たちがそのような努力をして頂ければ思っています。

ーー8月下旬に吉良で開催されているハワイアンフェステバルは、今年7回目ですが、すでに吉良の一大イベントとなりました。

山本氏 ハワイワイキキビーチのような雰囲気があって、砂浜の上でフラダンスが踊れる場所は少ないですね。福島県いわき市に「スパリゾートハワイアンズ」がありますが、「山の上であのフラダンスがやれるのであれば、ここ吉良ワイキキビーチの浜辺はロケーション的に絶対に負けない」と自信がありました。当時は映画『フラガール』の影響もありフラダンスのファンが段々と増えている状況で、吉良のハワイアンフェスティバルに米沢や秋田県からも来て下さったのです。多くの皆さんに発信して、リピーターになって頂ければ大変に嬉しく思います。

ーー今後、米沢と吉良の市民交流を拡げていくポイントは。

山本氏 吉良にもいろいろな団体があります。旧吉良町のときは、区長や民生委員などに、米沢の「雪灯篭まつり」や「上杉まつり」に行きましょうと呼びかけてきました。昨年、吉良町は西尾市に合併し、今後はもっと広範なグループに呼びかけ民間交流を一層進めてまいりたいと思っています。

やまもとかずよし
 昭和20年生まれ。平成11年より、旧吉良町議会議員1期、委員長、副議長を経て、平成15年同町長就任(2期)。現在、吉良・まちづくり協議会理事長。