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米沢市遺族連合会 会長 五十嵐謙一氏
  

igarashikennichi「太平洋戦争の戦没者遺族として、
 次世代へ戦争の悲惨さを語り継ぐ使命がある」

 今年3月に、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦没者遺族で組織する一般財団法人日本遺族会傘下の米沢市遺族連合会会長に就任した五十嵐謙一氏に遺族会活動について伺った。

ーー日本遺族会の組織はどのようなものですか

五十嵐氏 太平洋戦争後、戦没者遺族への冷遇を是正したいとの思いから、全国の戦没者遺族が連絡を取り合って昭和22年11月、「日本遺族厚生連盟」が結成され、昭和27年、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を獲得しました。同年、政府主催の「全国戦没者追悼式」が始まり、昭和28年3月、「財団法人 日本遺族会」が設立され、戦没者遺族の処遇改善、遺骨収集への会員の派遣、戦跡巡拝の実施、英霊顕彰事業として首相・閣僚の靖国神社参拝の推進などの事業に取組んでいます。現在、一般財団法人日本遺族会の会長は、鹿児島県遺族会会長で参議院議員の尾辻秀久氏です。

ーー米沢市連合遺族会の現状はいかがですか。

五十嵐氏 日本遺族会の組織は、山形県遺族会へ、更に各市町村遺族会へとつながっています。米沢市では、戦後間もなく各地区に遺族会が結成され、近隣の村が合併となった昭和30年頃に米沢市遺族連合会という形ができました。現在、米沢市内には15の遺族会があり、遺族連合会はそれを纏めた形となっています。また旧市内5支部で作る「米沢市遺族共励会」も組織されています。米沢市連合遺族会の会員は現在、約800人ほどですが、年々、遺族の高齢化に伴い、会員数は減少の一途を辿っています。

ーー五十嵐さんが遺族であるのはどのような理由ですか

五十嵐氏 私の父、五十嵐寿は終戦直前に召集を受けて満州に渡り、ソ連との国境近くでソ連軍との戦闘で銃弾によって戦死しました。30歳でした。父の戦死の状況が判明したのは、私が小学校6年生の昭和29年でした。母と県庁に行って白木の箱を頂いてきました。高畠に父と同じ部隊の人がいて戦闘の模様を教えてくれました。県庁に、父の軍歴を書いた記録が残されていました。
 母は生前、私に父のことを決して話しませんでしたが、私を悲しませたくないという配慮だったと思います。母が認知症になってからは、夕方になるとよく父の名前を呼んでいたのを思い出します。

ーー来年は戦後70年の節目となります。遺族会として今後どんな活動をされていきますか。

五十嵐氏 やはり、遺族として戦没者の追悼を行いながら、戦争の悲惨さを次世代に語り継いでいくことだと思います。ほかには、県や市が開催する戦没者追悼式への出席、千歳山霊園への慰霊、諸事業への参加を行っていきます。
 米沢市では、壮年部が毎年雪灯篭まつりの実行委員会に参加し、忠魂碑一帯で行われる準備をお手伝いしています。秋には忠魂碑、米沢市松が岬第二公園に建立した慰霊碑の回りの掃除を行っています。
 現在、特別弔慰金が遺族の方に支給されています。戦没者に子供がいないとか、結婚していない場合は、甥っ子、姪っ子まで対象です。特別弔慰金は10年国債で計40万円、毎年4万円ずつが支給されていますが、今年で終了する予定であり、継続運動を展開しています。

ーー行政、市民に対して訴えたいことは。

五十嵐氏 戦没者慰霊祭が毎年米沢市の主催で行われていますが、今年は7月25日午前10時から伝国の杜文化ホールで開催されます。遺族以外の一般の方々にもぜひご出席頂けるとうれしく思います。戦後日本の経済発展は、靖国神社に祀られている戦没者を含めた尊い命の代償が土台にあったことを覚えていてほしいと思います。

2014年7月13日米沢日報掲載
2015年1月24日20:00配信

いがらしけんいち
 昭和18年、米沢市生まれ。昭和37年、米沢興譲館高校卒業。昭和42年、米沢市連合青年団団長、平成3年、米沢市議会議員(5期20年)、米沢市議会議長。平成26年3月、米沢市遺族連合会会長に就任。現在、一般財団法人山形県遺族会理事・同壮年部部長。