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トップインタビュー 立正佼成会米沢教会長 内田耕市氏


 立正佼成会米沢教会長として、令和元年12月4日に赴任した内田耕市氏に新教会長としての抱負などを聞いた。(取材は成澤礼夫米沢日報デジタル社長)

uchida-1成澤 新年明けましておめでとうございます。昨年12月、立正佼成会米沢教会長として赴任されて、約1か月が過ぎました。米沢の新しい生活には慣れましたか。

内田氏 明けましておめでとうございます。米沢市民をはじめ、置賜の皆様にはどうぞ、宜しくお願い申し上げます。赴任して約1か月になりますが、教会員の皆さんがとても温かく受け入れてくれまして違和感なく、教会長としての仕事を果たさせて頂いております。雪国である東北に住むというのは、私にとって初めての経験ですが、すぐに馴染じむことができると思います。
 実は30年前に、東京都杉並区にある立正佼成会の教会で青年部長のお役を頂いた時に初めて山形に旅行に来たことがあり、その時は米沢の上杉神社に参拝し、赤湯温泉に宿泊して、将棋の駒で有名な天童にも行きました。そこで買い求めた将棋の駒のアクセサリーは、楽器や携帯電話に取り付けたりして持ち続け、今回の赴任でも持ってまいりました。これまで山形には3回旅行で来ており、今回の米沢教会長としての赴任は何かご縁があるような気が致します。

成澤 立正佼成会と内田教会長はどのようなご縁で繋がっていますか。

内田氏 私の祖父母ははじめ東京都大田区に住んでおりましたが、近所の方の導きで昭和24年に祖母が立正佼成会に入会し、その後に家族が信心致しました。それから東京都杉並区に居を移し、大聖堂近くで日用品の雑貨店を始めました。何年かして、支部長さんの勧めで主に信者さんを対象にした仏具店に転換しました。
 私が大学を卒業した頃、祖父が病気になりお店を続けられなくなりました。当時、父は本部のお役を頂いておりましたので、お店の跡を継ぐのは私しかいなかったのです。それから約30年間、お店を経営しました。平成22年、50歳の時に本部へ奉職することになり、平成25年に足利教会長を拝命しそこで6年間勤め、今回、米沢教会に赴任致しました。

成澤 内田教会長は、信仰3代目となるわけですね。昭和24年頃といえば、日本は太平洋戦争に敗れ、食糧統制が行われ物資が極端に欠乏し生きて行くこと自体がとても大変な時代でした。また戦前の軍国主義から戦後の自由主義という新しい価値観や新憲法の下、国民はどう生きていくか必死で模索していた時期とも重なりますね。

内田氏 祖母は若い頃の一時期、東京都庁で仕事をしていたことがあり、そこで先駆的な情報に接したり、人とのご縁を頂いたと思います。元々、人と話をすることが好きで商才もあったことから、戦後の混乱した中にあっても自分の目指す方向に向けて努力を続けた女性でした。
 祖母が立正佼成会へ入会したきっかけはとても単純で、雑貨店のほかにミシンを使って裁縫の仕事も行っていましたが、誰かにそのような仕事をしていると早く後家(未亡人)さんになると言われたらしいのです。「それは大変だ」と本部に行って開祖様、脇祖様にお会いして、そこで信仰に目覚めたということです。
 また母方の祖母が入会したのは昭和22年ですが、それは立正佼成会が創立されてまだ10年ほどの草創期で、教会も全部で11支部体制で、そこで祖母は支部長を仰せつかりました。当時の支部長は、今で言えば教会長のような仕事をしておったものですから、開祖様や脇祖様の一番身近な場所にいたことになります。
 父は戦前、現在の東京外国語大学で蒙古語(モンゴル語)を専攻しました。戦前、日本は五族協和といって、中国やモンゴルを重要な国と位置付け、日本から多くの開拓団を送り出しました。
 戦後、母方の祖母が支部長をしていた影響もあって、父は大学卒業後に入社した商社を辞めて、本部職員として奉職し、開祖様の秘書になりました。東京外国語大学で学んだ蒙古語や英語などの語学力が、開祖様が外国訪問される時に重宝されたようです。

成澤 モンゴル語が専攻とは凄いですね。作家の司馬遼太郎も戦前、旧制大阪外国語学校でモンゴル語を勉強しています。内田昌孝氏は開祖様の秘書室長から、その後、立正佼成会の第2代理事長にもなられたとお聞きしました。開祖様、会長先生の信頼がとても厚かったという証ですね。昭和30年代、立正佼成会が教勢を拡大し、大聖堂や普門館を建設していく時代に、開祖様とご苦労を共にされたわけですね。

内田氏 父が長年、開祖様の秘書室長としてお仕えさせて頂いたことは、本人にとっても貴重な体験であり、いろいろな勉強をさせて頂く機会となったと思います。父は若い時から理事のお役を頂戴し、長沼基之初代理事長の後を受けて、平成6年から2年間、第2代理事長をさせて頂きました。その2年前には、庭野会長先生が第2代会長に就任され、教団の将来を見据えて組織体制や他の見直しが必要だった時期にお役を頂きました。現在、96歳で元気で過ごしております。

成澤 教会長として、米沢教会をどのような教会にしていきたいですか、抱負をお聞かせ下さい。

内田氏 先輩の教会長から、雪国米沢では雪が沢山降った時に自分の所の雪をよその家の敷地には投げないと伺いました。その話から雪を上手に片付けながら、共存、協力を大事にする地域性を感じました。そのような共存、協力という人々の特質を活かしながら、常に信仰の喜びが溢れる、笑いが絶えないような教会にしてまいりたいと思います。

uchida-2成澤 庭野会長先生は、教団創立百年に向けて「惜しみなくつながる〜菩薩を育てる苗代となる〜」という方針をお示しになられました。立正佼成会会員として、その方針を受けて進むべき道はどんなところにあると思いますか。

内田氏 信仰を持っているということが、一つの大きな力になると思います。立正佼成会で言うところの救いとは、「希望」と「安らぎ」の二つを与えることです。仮に病気をしても、それが治らなくても、心の安心が頂けて、それを覚えることができるという安心感が大事なことだと思います。その安心感に基づいて、目指す希望や明るい兆しというものを教会員同士のふれあいの中で感じていただければありがたいと思います。
 そうすれば、問題に直面した時にも右往左往することもありませんし、どのように対応してプラスの方向に発想を転換できるか、またそこから生きる糧を得ることもできるわけです。そもそも法華経の教え自体が「苦を糧にする教え」ですから、日常生活の中で法華経精神を実践的に活かしていける人が本当の信仰者でしょうし、立正佼成会の目指しているところだと思います。

成澤 いま世界を眺め回すと、大国のトップが「自国第一主義」の発想に満ち溢れています。自分だけ良ければいいという発想の先には、戦前の帝国主義的な発想を感じてしまいます。争いや戦争の背後には、民族や宗教の名を借りた戦いがありました。
 そのような中で、開祖様が提唱された世界宗教者平和会議(WCRP)の存在は、年々大きな位置付けになってきていると思います。WCRPの現在や将来についてどう思われますか。

内田氏 開祖様は宗教者がいがみ合わないで、仲良くすることが世界平和に貢献すると、昭和45年(1970)WCRPを提唱し、第1回会議が開催されたわけですが、今年2020年はWCRP50周年を迎えました。昨年、ドイツで開催された第10回WCRPでは、それまでの大会とは違うのは、宗教者だけでなく国や経済界の代表者なども参加するようになったことです。
 メルケル・ドイツ首相は、開催費用の半分以上を負担し、各国から1000人以上が参加しました。それだけの規模になったことは、WCRPが宗教家だけの集いではなくて、ある意味では、宗教を基にして、社会、貧困、経済、貿易などの様々な社会問題に対応する組織に切り替わったことを意味しています。開祖様が提唱した戦争のない平和な国際社会の構築という理想に向かって、段々と実を結び始めているのではないかと思います。やはり、歴史の積み重ねだと思います。

成澤 日頃の生活で、大事にしていることは何ですか。

内田氏 20数年前ですが、教団創立60周年に合わせて、庭野会長先生は「心田を耕す」という大方針を打ち出されました。私は教会長になる前でしたが、大聖堂で行われた式典で説法のお役を頂きました。説法の後、会長先生の法話の中で、私の名前に「耕」の一字があることから、「心田を耕す」のに相応しい人だねとおっしゃって下さいました。
 私はその言葉を噛み締めて、自分なりに「心田を耕す」ことに一番相応しいことは何かと考えた末、大聖堂のすぐ傍に住んでいましたから、朝6時のご供養を続けようと思ったのです。学生の頃はよく朝6時の祈願供養に参加していましたが、継続ではありませんでした。その説法体験を機に、毎朝供養を続けて現在に至っています。朝に日の光を浴びると心身ともに元気になり、充実した1日を過ごすことができます。

成澤 ご趣味は何ですか。

内田氏 私が学生の頃はフォークグループ全盛の時代でした。音楽を聴くのも演奏するのも好きで、若い頃から友だちとバンドを組んで演奏してきました。社会人になって一時期活動はお休みとなったのですが、30年前に再びバンドを復活しました。また現在は、ドルフィンナップというハワイアンバンドでウクレレを担当しています。家内はフラダンスをやっていますので、たまに一緒になって演奏を披露しています。

成澤 最後に座右の銘をお聞かせ下さい。

内田氏 「信頼と誠実」を座右の銘にしております。誠実さを自分の身から出していくように心がけると、それは信頼へとつながります。信頼が大事な人柄を作り上げていくものと思っております。

成澤 ありがとうございました。内田教会長のお働きにご期待申し上げます。

略歴
 うちだこういち
 昭和31年東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並小学校、佼成学園中学・高校、中央大学会計学部卒業。その後、家業の仏壇屋を引き継ぎ30年間勤務。平成22年本部勤務、同25年12月、足利教会教会長、令和元年12月、米沢教会長に就任。


(2020年1月1日19:45配信)