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宮島 誠一郎

              (1838-1911)

明治維新前後の歴史の舞台を書き残す


 宮島誠一郎は天保9年(1838)7月20日、米沢藩右筆宮島一郎左衛門吉利(一瓢)、宇乃の長男として米沢に生まれ、幼名は熊蔵、成人して誠一郎と名乗る。戊辰戦争では、米沢藩の代表として、官軍との和平工作に尽力、維新後は明治新政府に出仕し、左院・修史館・参事院・宮内庁に奉職。明治29年(1896)、貴族院勅選議員に選出された。東京で興亜学校を経営、米沢人の子弟が多く学ぶ。雅号は栗香・養香堂など。明治44年(1911)3月15日没。従四位に叙せられる。


 誠一郎は、嘉永3年(1850)の幕末維新期から明治41年(1908)の明治末年まで、各年にわたる詳細な日記を残した。現在、早稲田大学に約2500点、国立国会図書館に約2100点、上杉博物館に誠一郎の父・一郎左衛門吉利の日記などが所蔵され、これらは「宮島誠一郎文書」と言われている。日記の中では戊辰時の米沢藩の動きを記す「戊辰日記」や日清、日露戦争などアジア認識、対外問題に関する記述があり、この時期を読み解く鍵といえる。
 勝海舟との関係に始まり、誠一郎の息女が薩摩の軍人との姻戚関係を深めて行ったことが、やがて米沢海軍といわれる人脈の基礎となる。左院議官時代の「立国憲議」「国憲編纂起源」の提出は、明治憲法発布前の憲法論議の先鞭とも言える重要な業績である。

(参考文献)
・由井正臣編 幕末維新期の情報活動と政治構想
       宮島誠一郎研究(梓出版社)