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宮島 幹之助

            (1872-1944)

寄生虫学の先輩として活躍、米沢有為会の設立に尽力した

 明治5年8月、旧米沢藩士宮島家久の長男として生まれた。興譲小学校、山形中学校中退後、第一高等中学校を卒業。明治31年、東京帝国大学理科大学に進み、動物学を専攻。後に京都帝国大学大学院に学ぶ。京都帝国大学医科大学、京都高等工芸学校の各講師、痘苗製造所技師、伝染病研究所技師など歴任する。北里研究所創立とともに、寄生虫部長兼理事となり、後に副所長。帝都復興院評議員、保健衛生調査会委員、慶応義塾大学医学部教授、済生会参事。国際連盟保健機関常設委員帝国代表委員、国際阿片会議帝国代表専門委員としてジュネーブに出張。大正13年5月10日、衆議院議員当選1回。昭和19年12月11日死去。享年65才。 医学博士・理学博士。

 大学院で研究中、信天翁(あほうどり)の研究で沖縄に赴き、八重山島のマラリアの流行に注目、その後、京都帝国大学大学院の衛生学研究室で病原虫類の研究に従事。その研究が「中外医事新報」に掲載され、その実績が評価され、明治35年北里柴三郎の伝染病研究所に入所。万国衛生博覧会でのドイツ出張や外務省の依頼でマレー半島のマラリア調査に従事、大正3年の北里研究所創設に参画した。
 明治22年11月23日、伊東忠太は郷土後進の育英事業を起こす必要を痛感して、在京の同郷有志である宮島幹之助ら6名に諮り、幅広い郷里関係の団体(明治25年8月8日の総会で米沢有為会と改称)を組織して親睦と共存共栄を図ろうと活躍した。
 昭和11年9月19日、米沢興譲館中学校創立50周年で「日本はどうなる」と題して記念講演を行った。著書に「動物と人生」「北里柴三郎伝」などがある。

◇参考文献 米沢百科事典、興譲館世紀(編著者松野良寅)、米沢百年(市制100周年記念誌)