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世界の屋根を眺めるエベレスト街道(1/2)

 平成16年(2004)、私はネパール(ネパール連邦民主共和国)のエベレスト街道タンボチェ・トレッキングに仲間16人で参加した。これまで日本の百名山を始め、中国(中華人民共和国)の5000メートル級の山などに登ってきたが、エベレスト街道トレッキングは私の人生の中で特別なものだった。世界の登山家を魅了して止まないエベレスト(8848㍍)やローツェ(8516㍍)を眺めながら、生活環境の厳しいネパールで質素ながらも逞しく生きる人々の姿を見た。

 私が本格的に日本各地の山登りを始めたのは20代の頃だ。自然豊かな米沢で生まれ育ち、春には近くの山で、わらび、ぜんまい、ウドといった山菜や秋にはあけび、栗、きのこ採りなどに行ったことが山好きになった理由である。小さい時分から、私にとって山はすでに生活の一部のようなものだった。夫も山登りが好きで、共通の趣味が私たちを結び付けてくれた。

 美容室の仕事の合間を縫っては、これまで日本の百名山や中国にある5000メートル級の登山に遠征した。平成16年(2004)5月、群馬県利根郡片品村で、丸沼高原ペンション・プモリを経営する宮崎勉さんが企画したネパール・エベレスト街道タンボチェ・トレッキングに参加した。5月7日から21日までの乾期を狙っての15日間にわたるトレッキングである。宮崎さんは深山山岳会所属のベテランで、年に何度か、日本人のヒマラヤ街道トレッキングを案内されている。

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 ネパールは東・西・南方をインドに、北方を中国のチベット自治区に接する、人口約2900万人の国。面積は約14万平方キロで日本の37%である。世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈が北方に広がり、エベレスト(8848㍍)、ローツェ(8516㍍)、マナスル(8163㍍)、アンナプルナ(8091㍍)など、日本人にも有名な山々が連なる。ユネスコの世界遺産として、カトマンズ盆地、仏陀の生誕地であるルンビ二の二カ所が文化遺産に、サガルマータ(ネパール語でエベレストの意味)国立公園、ロイヤル・チトワン国立公園の二つが自然遺産に登録されている。

 ネパールの産業は農業、織物業、観光などで、農業の就業人口が約7割と最も多く、米、小麦、とうもろこし、ジャガイモなどを生産している。観光客、登山者やトレッキング者向けの宿泊、荷物を背負うシェルパなど、観光に関わる収入も同国の大事な外貨獲得源である。

 国際機関の調査では、一日2ドル未満で暮らす貧困者が人口の75%と、後発開発途上国に分類されている。経済的にインドとの結び付きが強い。国民の平均寿命は60歳ほどだが、平均年齢は20歳程度と若く、どのまちでも子供の姿が多かった。

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 初日はタイ国際航空で成田空港から7時間かけてタイ・バンコクに飛び、そこで一泊。2日目午前、バンコクから首都カトマンズに向かい、お昼過ぎに到着した。3時間半のフライトである。ネパール上空に入ると、ヒマラヤの山々が飛行機の窓から見えて来た。カトマンズ空港に降りると、強烈な臭いが鼻に飛び込んできた。家畜や人々の体臭から出される臭いが、有史以来、染みついてきたものだろう。

 年中、雪に覆われているようなイメージのネパールだが、モンスーン型気候の影響を受けカトマンズでは年中温暖だ。カトマンズは標高約1300㍍だが、私が訪問した時は30度を超える気温で、湿度が低いためそれほどの暑さを感じない。

 カトマンズの街中は、バイクに乗る人たちで道路はすごい雑踏。繊維産業も盛んで道路には赤、黄などの色彩豊かな2㍍四方の織物が干されている。世界文化遺産に登録されているカトマンズ市内の寺院を観光した。広場には露店があちこちにあり、街中を牛がのどかに歩いている。これでも以前よりは牛の数が減ったという。川のほとりには、今にも壊れそうなバラック建ての家が並び、沐浴場では女性たちがバケツを洗ったり、子供が裸で水浴びをしていた。

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 3日目、国内線を使って、いよいよエベレスト街道の玄関口であるルクラ(2827㍍)に向かう。ルクラはカトマンズの東方約100キロほど離れたまち。道路事情が悪いから、飛行機を使って行く。20人弱が乗れるイエティ航空のプロペラ機に搭乗。機体の気密上の問題からか、スチュワーデスから耳栓(綿)と飴を口に入れて下さいと言われた。飛行機に搭乗する前、民族衣装を身に付けたスチュワーデスと記念撮影した。飛行機は風に乗ってフワフワ、天気が良く、ヒマラヤ山脈が良く見えた。40分ほどでルクラに到着すると、カトマンズとは違って空気が薄いと感じた。目の前に山々が聳えている。空港を出ると、ガイドやシェルパ、コックたちが私達を待っていた。

 3000㍍近い高地になると、地表と比べて酸素濃度が薄い。到着前に教えられたことは、「走っていけない。荷物を持ってはいけない。跳ねてはいけない」という三原則だ。ネパールでは犬さえも走らないという。街中でも人々がせかせかと急いで歩く姿を見かけない。すべては自然の悠久の如く、ゆっくりとゆっくりと動く。トレッキングの道は砂利、石、岩だから酸素濃度不足で意識を失い転倒すればとても危険だ。

 トレッキング期間中、宿泊はホテルではなく野外テントを使用するため、シャワーを浴びることができない。体はお湯で濡らしたタオルで拭くだけ。水はミネラルウオーターか、湯冷ましを飲む。

 ルクラの空港近くにあるシェルパロッジ前で、牛に私たちの荷物を載せ、シェルパは背負った。いよいよトレッキングのスタートである。私達16人のために、5頭の牛、30人のスタッフが付き沿う。道路事情が悪いネパール・エベレスト街道は、交通手段と言えば歩行に限られる。牛は体が大きく太ももは実に逞しい。どんな坂道でも登れるパワーを持っている。

 聞けば、ポーターの日当は一日1000円だそうだ。個人的にチップをあげることは禁止されている。ポーターに貧富の差ができると、ポーターを取りまとめることができなくなるからだそうだ。ポーターは外貨を稼ぐ意味でネパールの大きな収入源である。13、14歳ともなれば、牛を操って山に登っていく。

 ヒマラヤ街道を歩き始めて、30分も経つと風景が全く別物となった。最初の宿泊地パグディンまでは約4時間。山々や渓谷を眺めながらのどかな旅が続いた。名前も分からない植物があちこちに生い茂っている。所々に、お経が書かれた大きなマニ石がある。約4時間かかって、標高2652㍍のパグディンに到着、ゴーゴーという川の流れの音が聞こえる場所に10個のテントが張られた。今夜からテントでの宿泊だ。

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 4日目朝、私は川の音と鳥の声で目覚めた。テントから外に出て見ると、朝日が山々の天辺を照らして言葉にならない美しさである。朝食を済ませて、シェルパの故郷ナムチェバザールに向けて出発した。山のあちこちに雪が残る雄大な景色を眺めながら、6時間半の行程である。

 毎日、朝晩の食事前に血中酸素濃度の測定がある。これは高山病予防のためだ。私は大丈夫だったが、ここで仲間の一人が酸素濃度が規定値を下回り、ルクラまで下山することになった。

 パグディンを出発して、途中、モンジョ(2840㍍)で一休みした。街中の道幅は3㍍くらいでそこを牛が登っていく。サガルマータ国立公園が始まる地点に、関所があった。世界自然遺産に登録されていることから、ここから先は入域許可証が必要である。

 そこを過ぎると、深い谷の上を吊り橋が架かってあった。川底までは50㍍以上ある。下からはゴーゴーと川の音が聞こえてくる。吊り橋を歩いていると揺れる、揺れる。向こうから牛が来たら大変だ。牛が渡り終えるのを待って人が渡る。吊り橋の下を見ないようにして、私は一番最初に渡り切った。

 峠から山肌にへばりつくようにナムチェバザールの街が見えた。その峠に5、6人の軍人が警備の任務に付いていた。約6時間半かけて、ナムチェバザール(3446㍍)に到着。シェルパ族は稼ぎが良いのか、綺麗で整然とした家並みと立派な家が沢山ある。あちこちに暖房用の薪が積み上げられていた。山々を真白な雲海が通り過ぎていく。急峻な場所に家が建ち、頑丈な石垣で地滑りを防いでいた。(続く)

文・写真 山中晴代さん(米沢市出身)
(2013年1月19日・28日米沢日報への寄稿文を転載)

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