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5月24日

米沢・延徳寺遺跡 伊達家上級家臣邸宅か

 米沢市教育委員会は21日、(福)ましみず会(稲葉隆映代表)が運営する塩井保育園造成新築に伴う「延徳寺遺跡」緊急発掘調査における現地説明会を開いた。今回の調査によって延徳寺は、中世城舘跡と判明、市内の成島館や普門院館と同様に、館と寺院がある遺構ということが分かった。また、出土された遺物や館の造りから、飛鳥、奈良時代は寺院や古代の役所跡の官衙(かんが)など、行政の中心的な役割を果たし、戦国時代においては伊達政宗の父・輝宗の上級家臣が居住していた可能性がでている。

 調査された延徳寺遺跡は、市内塩井町塩野地内にある、延徳寺本堂北側にあたる部分の約870平方㍍。昨年試掘調査と、今年4、5月にわたって行われた発掘調査では19の井戸跡、80基以上の遺構群が検出。古墳時代からは竪穴住居跡2棟が見つかったが、農園造成による削平で残存状況が良くなく、いずれも壊されている状態で発見された。カマドや炉といった施設は見つからなかったものの、床面の湿気を抑えるためのものと考えられる周溝が出てきた。どれも形態と出土遺物から古墳時代中期という。

 また、飛鳥、奈良時代のものと見られる平瓦が見つかり、当時寺院や古代の役所跡の官衙(かんが)など、中心的な役割を果たした可能性がある。今回、出土したものは、主に碗や内耳土鍋などの陶磁器類や漆器碗などの木製品類のほか、当時貴重とされた中国製の陶磁器が発掘された。

 特に注目されたのは、文字が書かれた木簡で、同教育委員会が赤外線カメラで撮影したところ、墨痕を確認。ただ、状態が悪く、解読できたのはわずかな文字だったという。戦国時代のものとしては、伊達家の有力武将が居住した屋敷に関わる遺構と見解を示している。晴宗公釆地下賜録(仙台市博物館所有)によると、伊達氏家臣団のうち、11人の地頭が塩井地区の所領を安堵されたと記録されている。

 遺跡東側には多くの井戸跡が発見され、大きいものでは2㍍、深さ200㌢、石組みされているものなど3種類のタイプの井戸が見つかった。井戸が枯れた、もしくは時期を反映している可能性が高く、現在のところ伊達家上級家臣邸の台所と推測されている。

 一方、同時期のものと見られる、南北22㍍以上、幅2〜2・7㍍、深さ約80㌢のV字状の薬研掘と、底面に周囲より高くする障子堀の堀跡が2か所発見された。現在、同寺から約500㍍西側を流れる鬼面川は、当時同寺脇を流れていたことから、堀の形状はコの字型をしており、市内では初の発見となる。市教育委員会は、延徳寺遺跡を庫裏(居住・食事をする場)に位置し、館跡の中心は、現在の同保育園辺りと推測している。

 発掘調査は今月31日までで、教育委員会では今年舘山城本丸調査を行うことから、伊達氏の歴史発掘が一層深まるものと考えられる。