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7月21日

伊達家家臣・支倉常長生誕地に案内板設置

 慶長十八年(1613)、伊達政宗の命を受けて遣欧使節団を率い、スペイン国王やローマ法王に面会した支倉常長が月浦(現宮城県石巻市月浦)を出帆して今年で400年。伊達家や支倉家に関する史料(「伊達世臣家譜」「支倉家系図」)で、常長は現在の米沢市関の立石に生まれたと言われることから15日、同地区にある米沢市立関小学校校庭内に、「支倉常長と関の立石」の案内看板が設置され、関係者ら50人が参列して除幕式が行われた。

 案内看板を設置したのは、「南原輝くわがまち創造事業推進委員会(岡崎利勝委員長)」で、米沢市からの助成金を活用し建立。岡崎委員長は「南原の豊かな自然、歴史文化を活用した魅力ある地域づくりに頑張っているが、第一号として支倉常長の案内看板設置を行った。支倉常長はヨーロッパまで行った日本の英雄であり、この地が生誕地というのは米沢市民や山形県民の宝。後世に残し、今後は広くPRしてこの地区を守っていきたい」と挨拶し、続いて岡崎委員長と安部三十郎米沢市長が除幕した。

 完成した案内看板は高さが2㍍、幅が1・7㍍、米沢市関小学校プール傍に建立され、道路には「支倉常長生誕地」の幟が立ち、観光客にも目が触れる場所にある。

 安部市長は「伊達政宗が仙台に青葉城を作るまでは東北の中心地は会津、会津と米沢に通じるこの(関の)道は、東北地方のメインストリートだった。伊達家が国境近いこの重要な場所に、山口家(常長の父)という重要な家臣を置いたのは頷ける話。案内看板の設置により地域興しに弾みがつくことを期待する」と祝辞。引き続き、本紙に3度にわたり常長の生涯を寄稿した米沢市在住の歴史探訪家、竹田昭弘氏が「支倉常長の人物像」と題して講話し、支倉の波乱の満ちた生涯を解説した。

 関小学校児童たちは、今年、遣欧使節団が乗った船を復元したサン・ファン・バウティスタ号のある石巻市に行く予定で、今回、看板設置されたことで、関地区における観光の目玉となりそうだ。