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舘山城跡国史跡指定記念特別展「伊達氏と上杉氏」

uesugi16 米沢市上杉博物館(佐藤広明館長)は、10月1日から11月27日まで、開館15周年記念特別展「伊達氏と上杉氏 ー舘山城跡国史跡指定記念ー」を開催しています。
 米沢は伊達氏が置賜への進出から200年余りの間、その支配下にあり、伊達晴宗、輝宗、政宗の3代約50年間は伊達氏による領国支配の中心地となりました。
 今回の展覧会では、伊達氏のルーツ、初代の朝宗から豊臣秀吉によって政宗が岩出山に移るまでの歴史や、伊達氏と上杉氏の関わり、国指定となった舘山城跡の発掘成果を紹介する内容となっています。
 記念展初日の1日には、同館学芸員の角屋由美子氏が「中世伊達氏」をテーマにギャラリートークを行いました。角屋氏は伊達氏初代は、「念西」という法名を持つ出家した武士であるが、本当の名前がはっきりしていないことに言及し、伊達氏が元祖とする藤原山蔭の末裔とするために「尊卑分脈」という系図集の末尾にある「朝宗」に結びつけたという説を紹介しました。
uesugi-2-16 念西朝宗は、文治5年(1189)、源頼朝が奥州藤原氏を攻める合戦に従事し、石那坂(福島市)で藤原氏最大の家臣、飯坂大鳥城主の佐藤庄司一族を破り、頼朝軍の勝利を決定付けました。この功績により、念西一族は頼朝より伊達郡の地頭に念じられ、伊達氏を名乗りました。伊達氏発祥の地は桑折(こおり)で、展覧会では朝宗の墓の周辺(下万正寺遺跡)から出土した瓦やかわらけ(器)を展示し、その瓦が源頼朝が藤原泰衡らを追悼するために建てた鎌倉にあった永福寺のものと様式が同じで、佐藤氏一族の追悼のために頼朝と同様の寺を建立したと考えられます。
 他に、会場では伊達氏の初代からの肖像画や、伊達稙宗が息子である晴宗と争った「伊達天文の乱」、伊達氏から上杉氏へ養子を出す事に関連して、伊達氏が上杉氏の家紋である「竹に雀紋と桐紋」をあしらった空穂(矢を入れる容器)、米沢の西にあった寺、覚範寺(政宗が父輝宗の菩提を弔うために建てた寺)で出土した「一字一石経」の展示も見所です。
uesugi-3-16 舘山城跡に関連しては、伊達治家記録(だてじか(け)きろく)(元亀元年、1570)に、伊達氏の重臣であった新田四郎義直の居城として「舘山」が登場します。米沢市教育委員会の調査で、慶長年間(1596〜1615)以降のものと考えられる石垣が確認され、上杉景勝の命によるものと考えられますが、未完成のまま破城されたとみられています。舘山城跡は、伊達時代の山城と考えられてきましたが、発掘調査による石垣の発見で、上杉氏も関わっていることが明らかになりました。
 慶長14年(1609)に書かれた直江兼続の書状には、米沢にいた奉行の平林に対して、米沢城下町の整備に関して、「館山之儀一切無用之事」とあり、城普請の中断や破城の指示と解釈ができるものが送られています。
 他にパネル展示では、政宗の命でローマに赴いた支倉常長を取り上げ、支倉氏の系図の中で、出羽国置賜郡立石郷(米沢市立石)に、支倉常長の父、常成が居住していたことが書かれてあり、常長がここで生まれたと考えられる根拠を示しています。
 会期は、前期10月1日〜30日、後期が11月3日〜27日です。入館料は一般620円、高大生400円、小中学生250円です。11月3日は入館無料。

(2016年10月2日15:00配信)