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第143回火種塾 髙森務氏の足跡をたどる



takamori1 鷹山公と先人顕彰会(小嶋彌左衛門会長)が主催する第143回火種塾が5月13日、我妻榮記念館で開催されました。講師は同会常任理事の髙橋捷夫氏で、「戦後の児童文化と直江兼続顕彰の父 髙森務氏の想いを考える=時代と郷土愛が創ったものとは=」と題して、1時間の講話を行いました。
(平成25年4月28日、農村文化研究所で人形「雲右衛門」を操る髙森務氏(左))

 この中で髙橋氏は、「平成28年1月に満106歳で逝去した髙森務氏は、児童文化、絵画、先人顕彰などの領域で戦後の米沢の歴史に大きな足跡を残したが、その活動は人生の尽きるまで続いた」とし、何故、そこまでに想いを懸け人生の全てを注ぎ込んできたのか、2017年「米沢文化」に寄稿したことで、見出したり、気づきがあったと述べました。
takamori-2 髙森氏の生育、学歴、教職歴を丹念に調べて、戦前、父親が駐在所勤務の警察官だったことから小学校時代は転勤による転校が多かったことや、米沢中学校から山形師範学校に入学し、昭和4年に「広幡小学校」を皮切りに、教職を開始したことなどを触れました。昭和19年「雲右衛門」人形が誕生しました。(講話する髙橋捷夫氏)

 髙橋氏は、髙森氏にとって大きな転機となったのが、自分の能力を過信しない程度において、一つの事業を試みようと一生の方針を確立した「昭和27年の決意」を取り上げ、それは子どもと共に喜び、子どもと共に悲しむ余生を送ることで、背景には戦後の児童の置かれた遊ぶものも楽しむものもないという荒れ果てた環境の貧しさや、国民の精神的荒廃、伝統文化や歴史が尊重されないなどへの思いがその決意に至らせたとしました。
 昭和32年4月、上杉神社忠魂碑の場所に「児童遊園地」を実現させ大盛況になったものの、場所が「聖地」であることから市議会で撤去の決議がなされ、その後、誰も代替地を提起してくれないことに残念さの感じていたと述べました。
 昭和51年には、市立図書館が文化センターに移転し、その後に「民間児童会館」を設置し、理想的な運営と活動ができましたが、その後、近代的な設備を有する待望の市立児童会館がオープンしたものの、管理運営が市主体であり、制約が多く髙森氏の思う運営のあり方とは違っていたとしました。
takamori-3 髙橋氏は、髙森氏を「直江兼続顕彰の父」と述べ、それは昭和54年、髙森氏が今泉亨吉氏や当時の林泉寺住職らと、兼続顕彰の必要性を話し合い、発起人会をつくり活動を行ったことに由来し、「米沢の大恩人 直江兼続」は髙森氏のキャッチフレーズだったことを紹介しました。
 髙森氏はたくさんの団体、会をつくり、また所属し、多くの活動を行ったが、これらは戦後という時代がこれを生み出し、戦後だからできたと述べ、「何とかして子どもたちに豊かな文化や楽しい遊び場や、まっすぐ伸びる場を与えたいということだった」ことや、「新しい意味を含めた伝統や文化の復活を願うという郷土愛が活動の基盤となっていた」としました。

(2018年5月13日10:50配信)