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第146回火種塾 上杉鷹山の初入部をテーマに



hidanejuku1 鷹山公と郷土の先人を顕彰する会(小嶋彌左衛門会長)が主催する第146回火種塾が11月4日、米沢市の我妻榮記念館で開催されました。市立米沢図書館の青木昭博氏が講師となり、「上杉鷹山の初入部について」と題して、1時間の講演を行いました。(写真=左)
 青木氏は、上杉鷹山の初入部は明和6年(1769)10月27日(新暦では11月24日)で、平成31年が初入部250年となるとし、鷹山の入部が晩秋に遅れたのは、江戸城西の丸御殿の修復が終わるまで幕府の許可が出なかったためだったとしました。
 この時のエピソードとして有名なのが「火種の話」で、この話が鷹山の代名詞となっていると述べました。それは板谷峠を越える時に鷹山の籠の中からふうふうと音がしたので御側衆が何事かと伺うと、鷹山がキセルの頭を口に含んで烟草盆の火を余念なく吹きたてている。板谷御殿に到着してから鷹山が言うには、烟草盆の火が幽かになるのを見て、これは米沢藩のあり様に似ている。やにの辛さを嫌わずに耐え忍んで吹きたてれば、段々と火は元の如く強くなるとし、苦労を厭わず誠実に途切れなく続ければ藩もこのようになると述べ、一座の人々はその心に感涙したというものです。
 青木氏はこの「火種」の出典として、甘粕継成著の『鷹山公偉蹟録』に記載されているものの、皆孫引きであると述べ、昭和5年から10年頃に退職した先生方によって集められた江戸時代の史料で、米沢市図書館が備えた鶴城叢書3「米沢深秘録」に所蔵されているものが『鷹山公偉蹟録』の元々の原本だとしました。

hidanejuku2 また上杉鷹山に関する歴史書や小説でも、この「火種」の話は記載されているものも、ないものもあると述べ、火種の話がクローズアップされるようになったのは、童門冬二著『小説 上杉鷹山』「灰の国で」の中で7ページ、141行にわたって記述したことがきかっけとしました。
 青木氏は、他に鷹山が初入部した時に行われた鉄砲上覧(明和7年1月)で、三手組の御馬廻(謙信旗本の由緒)と、五十騎(景勝旗本の由緒)が先勤(最初に打つ)争いがあったエピソードや、白鷹町に残る鷹山の和歌を紹介しました。その和歌には、「恨むまじ 旅の憂目は ともかくも 我国民に逢と思へは」が書かれてあり、文字・印鑑は真筆だと思われると述べました。
 この和歌については、山形大学の工藤定雄教授が「上杉治憲が初めて入部の折、半途福島までで路銀が切れたと伝えられている。その非情を民政の熱意で昇華した詠懐(えいかい・思いを歌に表す)である」と解説していることを紹介しました。

(2018年11月4日17:05配信)