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東京都多摩地域にある横田空軍基地とハワイのパールハーバー・ヒッカム統合基地を拠点に活動している米国空軍太平洋音楽隊は、オーディションを受けて採用された音楽大学を卒業した専任のプロの音楽家たちから構成されている。一部の隊員は、グレン・ミラー・楽団からの移籍した組もいる。横田基地には、音楽隊長のジョセフ・ハンセン中佐以下24名が在籍している。活動範囲はインド太平洋地域36か国で、国際交流を任務としている。
(写真上=3月26日、「高畠町文化ホールまほら」で見事な演奏を披露した"ファイナル・アプローチ"のメンバー9人)
米国空軍太平洋音楽隊の隊員で結成するグループ"ファイナル・アプローチ"は、ジャズ、カントリー、ロック、R&B、ポップなどの幅広いジャンルの音楽を演奏し、公式の夕食会、大きなフェスティバル、イベントなどで演奏を行っている。"ファイナル・アプローチ"とは、航空機が空港に向かって着陸するまさに最終の段階をいうが、この音楽隊が米国空軍の音楽隊であることを考えれば、何とも適切な良い名前であると思う。
3月26日夜、高畠町文化ホールで、"ファイナル・アプローチ"のメンバー9人が、「日米親善コンサートinまほら」と題して、1時間半ほどのコンサートを行った。これは同ホールの令和6年度自主事業として開催されたもので、当日は定員800席に対して、入場者数が604席と8割近い座席が埋まるほどの大盛況だった。
MCを務めた同音楽隊地域交流専門官の八木正人氏が、音楽隊や演奏者のプロフィールなどを紹介した。八木氏は置賜を舞台にした映画『スウィングガールズ』の影響もあって、高畠町でのコンサート場所が選ばれたと述べていた。同音楽隊は、昨年、山形県内で開催された陸上自衛隊第6音楽隊のコンサートでも共演したというから、山形県とも繋がりが深くなっている証拠にもなる。八木氏は、コンサートの模様を「一人500枚まで撮影可能です。」と述べて会場を笑わせた。しかも、自由にSNSで写真や映像を発信して良いという。「大いに音楽隊をPRしてください」と述べた。
当初は、筆者も記事にするつもりはなく、ただ1観客としてコンサートを楽しむ積もりだったが、その言葉を聞いたことと、演奏が余りに素晴らしく、書かずにはいられなくなった。
当日演奏されたのは、13曲+アンコール。オープニングは、スティーヴィー・ワンダーの『I Wish』。
(写真上=男性ボーカル、女性ボーカルの見事なハーモニーで熱いコンサートに)
緞帳が上がると、最前列に座っていた筆者に向かって、ステージ上から、まばゆいばかりの音のシャワーが降り注いだように感じた。ホールを圧倒する心地よいサウンドとその大迫力。『わー、すごい。』と、出だしの音楽を一瞬聴いただけで私の塊が震えるのを覚えた。
エレキギター、サックス、トランペット、ドラムス、キーボードなどが、まるでこの世のものとは思えない、まさに天上の音楽を奏でているようだ。この時、筆者は音に輝きがあると初めて体験した。
そしてステージ上の空間は、紛れもなく「アメリカ」そのものだった。アメリカ大陸の大きさ、豊かさと繁栄、そして世界中の移民からなる人種のるつぼ、民俗、文化の多様性などが、演奏された音楽の中に大きく包含されているような、そんなスケールの大きさを感じた。ジャズ、ブルース、ロック、ソウル、カントリー、ゴスペルなど、アメリカという土壌で生まれ、発展し、そしてそれは世界に広がって行った。ジャズといえば、アメリカ南部のまちニューオリンズがとりわけ有名だ。ミシシッピー川沿いのこの町でジャズが生まれた。アメリカ人にとって、音楽が人々の生活の一部であり、人生の一部であるという幅と奥深さをこの"ファイナル・アプローチ"の演奏から感じるものだった。
エレキギターを演奏したクリストファー・アレヤノ上級空兵のテクニックを目の前で、「見た、聴いた、味わった。」
(写真右=エレキギターを操るクリストファー・アレヤノ上級空兵「右」)
エレキギターというから、もっと電気的で、無機質な音かと思いきや、その楽器からは芳醇な音が醸し出されていた。そして楽器を奏で、遊び、歌い、そして観客を音楽で酔わせている。楽器がもはや体の一部なのだろう。ものすごいスピードで左手で弦の上を移動している。メンバーの全員が1時間半近くのコンサートで、楽譜を見ないで演奏している本当にすごい人たちだ。
筆者にとって、演奏された曲のほとんどは知らない曲だったが、知っている曲が二、三曲あった。その一つ、ロベルタ・フラックの『Killing Me Softly With His Song』(やさしく歌って)。とても有名な曲だ。その曲を女性ボーカルのジェッシー・ダナバンド上級空兵が全身を使って歌った。体格は小柄だが、歌声は細い線から太い線まで艶があって、本当に美しい声で、そして歌唱力がある。音楽に身体を合わせてゆっくりと踊りながら楽しそうに歌っている。自分の好きなことをやって、それが仕事となっているというのは、幸せなことだが彼女はそれを体現しているのだ。彼女の話の中で、「ビギンの『島人ぬ宝』は、日本に住んでまだ2ヶ月ですが、初めて覚えた歌です」と話していた。完璧な日本語で歌っていた。
彼女が歌ったシェールのカバー曲である『ビリーブ』について、彼女は「自分が子供の頃に母親がいつも聞いていた曲」と紹介した。思い出の深い曲なのだろう、しっとりと歌った。
また男性ボーカルのベン・ヒューセビー技能軍曹は、難しいメロディーの歌を難なく歌いこなしている。ボーカルのふたりの完璧なまでの歌い方と声量に、圧倒的な迫力を感じた。
さらに私が知っている懐かしい曲が披露された。ロックグループのイーグルの『Hotel California』である。筆者が学生時代の1976年頃に大ヒットした曲だ。当時、ラジオでは毎日のように流れていたような気がする。ベトナム戦争が終わり、平和な日常を取り戻したアメリカの穏やかな感じを覚える。そして、この曲を聴くと、否応なしに筆者の青春時代とも重なってしまうのである。
"ファイナル・アプローチ"のメンバー9人(他にMCと音響も含めれば11人かのメンバー)の演奏レベルは物凄く高い。特に、ドラムスの音が、とてもエネルギッシュで、軽いタッチで、ドラムやシンバルを叩く音のシャアシャアというのがすごく気持ちいい音だ。ドラムスは、バンド全体をある意味で牽引する指揮者のような存在だから、このドラムスのリズム感がバンド全体のダイナミズムを左右すると言っても過言ではない。これまでに筆者が聴いたコンサートの中で、最高のドラムスの一つだった。
(写真右=ドラムスで熱演するブライアン・エラーマン上級空兵)
コンサートの終盤で、"ファイナル・アプローチ"のグループリーダーであるキーボード担当のチップ・コスラン曹長が髙梨忠博高畠町長に親善の証を手渡すと、髙梨町長からは高畠ワインがプレゼントされた。髙梨町長ははにかむように英語で感謝の言葉を述べた。
(写真左=親善の証をもらう高梨忠博高畠町長)
演奏の途中、当日誕生日の人に米国空軍太平洋音楽隊が制作したCDのプレゼントをプレゼントするとサプライズでの発表があった。幸運な当日誕生日の人の何人かが手を挙げ、終了後に玄関で受け取けとることができる。
プログラムの最後は、ローレンスの『Don't Lose Sight』。直訳すれば、「視野を見失わないで」となる。「あー、素晴らしい。」と、心で叫んだ。息を吐く暇さえないような、本当にエネルギッシュな1時間半の演奏に、筆者の心は太陽のフレアが爆発するように異常に熱くなって、体の中からものすごいエネルギーが湧き起こってきた。私の内部で、音楽による核融合が起きている。音楽の持つ力は、言葉に表すことが不可能だ。本当にすごい1時間半を過ごしたものだ。
拍手は収まらず、アンコールの声に押されて、メンバーは再び楽器を手にした。
演奏した中で、私が一番感動した曲は、スウェーデン出身の男女4人からなるボーカルグループ、アッバ(ABBA)の『ダンシング・クイーン』だ。1976年に作られた曲だから、まさに50年近くも前になる。1980年代の日本のバブル時代を象徴する曲とも言える。この曲を聞きながら、多くの若者がディスコに酔いしれた。ユーチューブでは、10億回もの再生回数を誇る名曲中の名曲である。それを女性ボーカルのジェッシー・ダナバンド上級空兵が情感を込めて歌った。
コンサートが終了すると、メンバーらはまほらの玄関で観客と会話を交わしたり、記念撮影に応じて、見事な日米親善役を果たしていた。筆者も、グループリーダーやボーカルの隊員らとともに、記念撮影に収まった。
話はそれだけでは終わらない。実は筆者は3月25日が誕生日。演奏会は3月26日だった。閃いたことがあった。
玄関でCDをプレゼントしている八木氏に話しかけた。「私の誕生日は3月25日です。コンサートは3月26日に行われましたが、アメリカではまだ3月25日ですよね。CDを頂戴できますか。」と話かけた。
(写真左=筆者が誕生日プレゼントで頂いたCD)
事実、コンサート当日の3月26日午後5時は、まだアメリカのアラスカやハワイでは、日付変更線の関係で3月25日中なのだ。私の話を聞いて、「いいですよ」と笑いながら、米国空軍太平洋音楽隊の演奏したCD「PACIFIC SHOWCASE 旅 MONOGATARI」1枚を私にくれた。私にとっては、初めてアメリカの国民の税金で作られたものを頂いた最高の誕生日プレゼントとなった。ちなみに、このCDは非売品とのことである。内容は、米国空軍太平洋音楽隊の演奏で、"ファイナル・アプローチ"のコンサートプログラムとは、違ったものだ。それはそれで素晴らしい。
この日、私がお誘いした米沢市からの3名も素晴らしいコンサートに大変に満足した様子で、私たちは会場を後にした。(米沢日報デジタル社長 成澤礼夫記)