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米沢市上郷生まれの故遠藤桑珠画伯(1917〜2011)の遺作・スケッチ展が、4月18日(金)〜27日(日)まで、米沢市桜木町2丁目にあるギャラリーパセオで開催される。これまでの展覧会には出品されていない、遺作やスケッチなどが多数展示される。
(写真右=故遠藤桑珠画伯)
遠藤桑珠(本名伊左衛門)は、大正6年、山形県東置賜郡上郷村(現米沢市上郷)に農家の長男として生まれた。昭和5年、上郷尋常高等小学校卒業後、農業に従事。昭和12年、20歳の時に同郷の先輩画家、我妻碧宇(名古屋在住)の紹介で、中村岳陵門下生となる。日中戦争に伴い、同15年、23歳の時に旧満州国牡丹江省寧安の航空通信部隊に補充兵として出征し、同18年(1943)に召集解除となり帰国した。
戦後、同21年9月の再興第31回日本美術院展覧会(院展)で、初入選、頭角を現した。その後、師の中村岳陵とともに日展に移り、同23年、第4回日展で初入選となる。同25年、東京に出て初めて日展特選を受賞した。さらに同28年特選を重ね、白寿賞、朝倉賞受賞。同51年、日展審査委員、以下5回務め、日展を代表する作家として活躍したほか、同59年、山形大学日本画講師となった。同63年、日展評議員、平成9年、日展参与となるなど、日本画界の中心的な存在として活躍した。同17年、米沢市功績者として顕彰された。平成23年、94歳で逝去。
昭和47年、飯豊町に白川ダムが建設されることになり、約130戸が水没すると知った遠藤画伯は、自ら現場に足を運び古民家の解体に従事し、神奈川県横浜市戸塚に居宅兼アトリエとして移築した。現在もその家は戸塚に残る。また70歳から短歌を詠み、歌集『虹いろの川』(1999)、『山しぐれ』(2004)を角川書店から出版した。
遠藤画伯の画風は、穏やかな色調と明快な構図が特徴で、出身地の山形や東北・北海道など、日本各地の自然の造形や建物などの風景を描いた。昭和42年7月、ヨーロッパ100日旅行に出発、北欧からペルシャまで訪れた。
同46年、長男の滋哉氏が住み始めたメキシコを訪ねて取材、マヤなどの古代文明にも触れた。以降10回に亘りメキシコを訪問し、画想の旅を行った。多くのメキシコをテーマにした作品を残し、その大作は米沢市上杉博物館に収められ、異国情緒あふれる風景は多くの人々を魅了している。
(写真右=銀の街タスコ)
地元米沢においては、平成14年に「風土の画家 遠藤桑珠」、同24年に「追悼特別展示 米沢が生んだ日本画の巨星 遠藤桑珠 福王寺法林」、同29年に「生誕100年 遠藤桑珠」が、それぞれ米沢市上杉博物館において開催された。また同30年(2018)、「ふるさと山形が生んだ大地の画家 情景の旅人 遠藤桑珠遺作展」が、遠藤桑珠遺作展実行委員会(遠藤伊一氏実行委員長:遠藤桑珠生家当主)により、よねざわ市民ギャラリー「ナセBA」で展示・販売されて好評を博した。
遠藤画伯亡き後、自宅には膨大なスケッチが残された。農家の長男として生まれ、大地への感謝や畏敬を表し、遠藤画伯の作家としてのエネルギーや情熱を感じさせるものだ。作品は、故郷山形や米沢とのつながり、メキシコ関連等など様々だが、その地道な研鑽と精進、良い作品を生むための下絵、デッサン、素描、スケッチの数々は、遠藤画伯の生き様を伝えるものだ。奥様のナナ子さん(故人)は、「何をするにも努力の人でした。」と述べている。(「ふるさと山形が生んだ大地の画家 情景の旅人 遠藤桑珠遺作展」図録の挨拶)滋哉氏は、今回の遺作・スケッチ展が「これからの若い人たちの夢の実現の後押しになれば嬉しい」と話している。遠藤画伯がメキシコで集めたカップや人形など、可愛いコレクションも展示される予定だ。
会期は、4月18日(金)〜27日(日)、午前10時〜午後6時(最終日は午後4時まで)。子息の滋哉氏によるギャラリートークが、4月19日(土)14時から同会場において行われ、作品解説とエピソードなどが紹介される。(入場無料)
問い合わせ ギャラリーパセオ 原さんまで。
米沢市桜木町2−55
℡ 0238−23−7047