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米沢市上杉博物館は、平成13年の開館から今年で25周年を迎え、9月19日(土)から11月23日(月・祝)まで、開館25周年記念特別展「上杉鷹山と米沢の学び舎ー藩校『興譲館』から近代の学校へ」を開催している。
(写真右=内覧会で解説する正三郎学芸員)
展示内容は、今年が米沢藩の藩校「興譲館」創設250周年であることから、上杉鷹山と師・細井平洲との関係、武士の学問、近代の学校教育への影響を紹介するもので、上杉博物館のほか、市内の各学校に伝来した日誌や写真、教材なども展示した。展示は米沢の「学校の原点」を知るものであり、学ぶ意義や学校と地域の未来を考えるきっかけとなる。今回展示した史料は全部で58点に及ぶ。
米沢藩の学問所の淵源は、元禄10年(1697)、4代藩主上杉綱憲が儒医矢尾板三印に命じて、聖堂と講堂を整備し学問所を設置したことが始まりで、聖堂では孔子を祀る行事が行われた。しかし、三印が亡くなると財政難から活動は停滞する。その後、安永5年(1776)、9代藩主上杉鷹山が藩政改革のために、学問所「興譲館」の再興をおこない、藩政の中心を担う重臣や役人、学者を育てた。明治維新後は、同校の伝統と名称は、米沢中学校(現・米沢興譲館高校)に継承され、鷹山が米沢に撒いた学問の気風は、興譲小学校や米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)に引き継がれている。
9月18日、展覧会に先立って内覧会が行われ、はじめに同館の曽根伸之館長が「安永5年に鷹山公、平洲先生が再興した興譲館から250年。東海市、玉川大学、興譲小学校、米沢興譲館高校のほか、米沢東高校で見つかった新資料などを展示した。米沢は人づくりのまちとされるが、米沢の歴史、文化がどのように作られてきたのか、未来に活かしたい。国宝『洛中洛外図屏風』の展示など、見どころ満載の展覧会である。」と挨拶した。
次に同館学芸員の佐藤正三郎氏が展示内容の解説をおこなった。佐藤氏は、藩校「興譲館」で実際、どんなことを教え、学んだのか、米沢にはそれらの記録をとどめる史料が残っているとした。興譲館では「師曰く、、」で始まる論語の素読が行われた。学生たちは意味が分からなくても、読んでいく中で「お経や聖書」を読むように深く身に付き行動力となり、それが「学問」となった。(写真上=米沢藩士の履歴を記す文書)
米沢興譲館高校の資料室には20数種類の史料があり、佐藤氏は生徒たちとともに調査をおこなった。生徒たちは上杉重定までの時代を調べたという。同資料室が所蔵する米沢城下絵図で見ると、延享4年(1747)頃は空き家が多く武士人口が減少していることがわかる。
米沢東高校で発見された、上杉家伝来の中国絵図「檜に尾長鳥図」は、中国の明時代(15世紀)の作者林良によるもので、上杉家旧蔵の唐絵(中国の絵画)である。鷹山が藩主の時、秋月藩主黒田長堅から前藩主の黒田長恵の遺品として上杉家に贈られた品だとされる。戦後の混乱の中で、「上杉家から離れ同校に寄贈されたのではないか」と佐藤氏は述べた。
上杉鷹山が学校の基本コンセプトを述べた「総評」は、学館設置の検討段階で家臣の意見に対し、鷹山が自身の考え方を示した文書で、「年来の宿志、今まさに成る」と書いてあり、「良い時なので急いで準備せよ」と重臣たちを督励している。藩校興譲館に入学した子弟は、上級と中級の家臣が多く、下級士族からはわずか5%しか入っていない。
(写真右=藩校興譲館の絵図、明治4年頃)
全寮だった「興譲館」の学則の扁額や通学生のための学校「友于堂」の扁額は、細井平洲が揮毫したものである。1850年頃の藩校興譲館平面図写は、米沢興譲館高校が所蔵するもので、現在の米沢市医師会館の場所にあった。その学館は、元治元年(1864)の大火で類焼した。同年11月に、門東町の武芸所敷地内に、建物の配置や規模はそのままで再建された。
市立米沢図書館が所蔵する興譲館平面図は、明治4年(1871)頃に描かれたもので、ここには、英国人チャールズ・ヘンリー・ダラスらが教えた洋学舎が描かれている。
(写真左=ダラスが連れてきたコックの万吉についてなどを記す上杉文書)
ダラスに関連して貴重な史料が展示された。それは米沢市上杉博物館が所蔵する「評判記 米沢藩庁職録」という上杉文書に含まれるもので、明治4年(1871)11月10日条には、ダラスを米沢に招聘するに向けた動きが書かれている。
それによれば、学校の年間予算は5,000円、260円をダラスに支給する予定(実際の契約は250円)で、9月上旬に米沢からの出迎えと警備の人員手配が書かれてある。10月から授業が始まった際には警備員6名を配置した。ダラスの授業には、木村道之助が同席し通訳を務めたことが書いてある。
さらに明治5年9月、学校掛は米沢県庁に対して、「ダラス氏日用の牛肉」を屠るため、「同人炊夫」に対して「屠牛鑑札」を支給するように願い出ている。これは米沢において、ダラスはコックの万吉に牛肉を料理させ、日常的に食していたことを記録するものである。
これまで万吉に関しては、明治11年に米沢新聞への広告でダラスが万吉に開かせた「牛万」の広告が掲載されてあり、これが万吉の存在を証明する初見のものだったが、この「評判記 米沢藩庁職録」は、万吉の存在を具体的に明らかにする最も古い、第一次資料となるもので大変に興味深い内容である。
九里学園所蔵のものでは、実際の衣服より小さくした衣類の雛形が展示された。裁縫の学習にしようされたもの。
(写真右=九里裁縫学校で使用されていた裁縫の雛形)
特別展に合わせて、ギャラリートークは9月19日、10月24日の2回、講演会は11月14日(土)、米沢市内学校資料室バスツアーは、11月7日(土)に開催される。詳しくは、米沢市上杉博物館ホームページまたは、電話 0238−26−8001まで。