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前田慶次と米沢の関わりを語るシンポジウム-前半

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 上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会(小嶋彌左衞門会長)が主催する第26回鷹山公シンポジウムが8月28日、米沢市にある伝国の杜置賜文化ホールで開催されました。
 今回のテーマは、「前田慶次と米沢ー晩年を米沢で過ごした慶次の生き様ー」と題して、はじめに米澤前田慶次の会会長の梅津幸保氏が前田慶次の生涯を解説し、全国数ヶ所で亡くなったという説がある中で、それらの史料の年代比較を行いながら慶次は米沢で生涯を終えたとする論考を述べました。
 次に、米沢市教育委員会文化課主任の手塚孝氏は、考古学の立場から慶次が住んだとされる無苦庵跡の発掘調査の結果と、元禄8年(1695)に米沢藩主の御側医、儒学者である矢尾板三印(1640〜1705)が描いた米陽八景「堂森秋月之図」の中の堂森善光寺境内にある石塔に注目して、その位置や大きさ、形状などから慶次の墓所である可能性を述べました。
 前田慶次の墓所に関しては、今回手塚氏によって初めて考古学の史料を元にした推論が述べられたもので、慶次の歴史研究に一石を投じるものと言えます。米沢にとっては慶次の墓所が堂森善光寺境内にあるとする米沢死亡説を裏付ける有力な推論であり、今後のさらなる研究が期待されます。
 第26回鷹山公シンポジウムの模様を、梅津氏の講演を前半に、手塚氏の講演を後半に分けて配信します。

(2016年8月30日14:45配信)