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火種塾 幕府最高位の鍼医嶋浦和田一(米沢出身)

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 鷹山公と先人顕彰会(小嶋彌左衞門会長)が主催する第135回火種塾が9月4日、米沢市の我妻榮記念館で開催されました。
 今回のテーマは、「米沢が生んだ幕府最高位の鍼医嶋浦和田一(しまうらわだいち)の功績と米沢藩との関係」で、かとう鍼灸院(米沢市)院長の加藤雅和氏が講演しました。
 嶋浦和田一(?〜1743)は、江戸時代の米沢藩遠山村の郷士、和田藤四郎橘の正安の長男で、幼少の頃に盲目となり、鍼の道で身を立てることを決意して、刀八毘沙門天に願をかけ、17日間断食を行い、千勝院に参籠祈願したところ、満願の暁に夢枕に立った多聞尊天のお告げにより手に入れた名刀天国を藩主上杉綱憲に献上して米沢藩に仕官しました。
 後に徳川幕府将軍家に召し出され、奥医師として徳川綱吉、家宣、家継に仕え、盲人組織の頂点である関東惣検校の三代目となり、日本鍼術最高峰の技術書「杉山真伝流」を完成させた人物です。嶋浦和田一の子孫は、和田の姓を名乗って幕末まで6代にわたって幕府の医官として鍼医者を務め、「杉山真伝流」の家元としてその流派を守りました。しかし、明治以降、和田家の消息は不明となっています。
 加藤氏は、嶋浦和田一の経歴を漫談風に語りながらその功績を紹介しました。米沢藩は嶋浦和田一には亡くなるまで八人扶持の禄を給し、医者となるための国内留学先に和田一の子孫にも派遣しています。加藤氏は米沢藩は鍼灸に対して理解が深く、当時の医師たちは晴盲、漢、蘭、鍼灸一丸となって治療にあたっていたと述べました。

(2016年9月4日13:00配信)