newtitle

会津藩士堀粂之助命日に、米沢で子孫らが墓前祭

このページのコンテンツには、Adobe Flash Player の最新バージョンが必要です。

Adobe Flash Player を取得




 戊辰戦争の際に、会津藩は援軍要請のために米沢藩へ堀粂之助と吉村寅之進の2名を派遣しましたが、米沢藩はすでに官軍への降伏を決定した後で、粂之助は使命を果たせなかったとして、慶応4年9月5日(1868年10月20日)、宿舎で自害し、遺体は米沢の人たちにより龍泉寺(米沢市大町四丁目)に葬られました。享年31歳でした。米沢では、戊辰戦争の悲劇を伝えるエピソードとして歴史に止めています。
 今年は粂之助没後150回忌を迎え、9月3日に「堀粂之助墓前祭」(上泉泰代表世話人)が行われました。粂之助の子孫で神奈川県鎌倉市在住の堀英彦さん(粂之助から数えて5代目)と、粂之助の直系にあたる斎藤英子さん(茨城県取手市)とその子息、斎藤庸介さん、同墓前祭世話人、米沢市で観光ボランティアを行っている人ら約20人が集いました。
 はじめに、前米沢市長の安部三十郎氏が、市長就任後、米沢上杉まつりの際に米沢を訪れた会津若松市長を粂之助の墓に案内したことがきっかけで、以後、命日に墓参を続けてきたことなどを述べました。また親族代表として、堀英彦さんが挨拶を行いました。
 堀英彦さんら親族が焼香を行い、続いて参列者が墓前で焼香を行いました。粂之助の辞世の句「神かけて誓ひしことのかなわねばふたゝび家路思わざりけり」の吟詠を聴き、粂之助の遺徳を偲びました。
 昭和46年、龍泉寺に粂之助の遺徳を顕彰する墓が整備され、会津藩主松平容保の孫で参議院議員(当時)の松平勇雄氏が揮毫した墓碑が建立されました。

(2017年9月4日13:45配信、18:40最終盤)