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江戸相撲で大関を破った小汐山(玉庭村)を紙芝居に 


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 川西町在住の小林幸子さんは、このほど玉庭村(現在の川西町玉庭)に生まれ、江戸相撲で大関を破った小汐山(おしおやま)を題材にした紙芝居を制作しました。
『日本一の力持ち』と題する紙芝居は全部で17枚からなり、文・制作を小林さんが行い、絵は米沢市在住で絵画教室を主宰する鈴木理香さんに依頼しました。小林さんは、明治元年生まれの曽祖母およしさんより幼少の頃から中学生の頃まで、日常的に民話を聞いて育ち、平成13年には、それらの話をまとめた『曽孫に語り継いだ およしおばんちゃの昔話十二ヶ月』を始め、これまで単独で3冊、共著で1冊の昔話を刊行してきました。
 小林さんは、それらの昔話の中から特に紙芝居にしようと考えたのが小汐山の物語です。小汐山は本名を吉村五右衛門といい、玉庭に配された米沢藩下級武士(足軽)の子として明和6年(1769)に生まれました。身長は五尺三寸(1m61㎝)と決して大柄ではありませんが、「腕及び股に異常なる力瘤あり」と伝えられています。
 天明8年(1788)、米沢藩第10代藩主上杉治広が参覲交代で江戸に向った際に、その中に五右衛門がいました。江戸に到着して江戸相撲を見た五右衛門は、相撲が取りたくなり、藩主の許可を得て、江戸四谷塩町で開かれた勧進相撲(異説もあり)に飛び入りで出場しました。五右衛門は幕下から始まり、次々と相手を打ち破り、大関谷風との対戦では、芝際(土俵淵)まで押し出して勝利したとされ、横綱という位がない当時、最高力士である大関に勝利したことで、喜んだ藩主治広は褒美として化粧廻しと陣太刀一振りを与えました。五右衛門は、会所(現在で言えば日本相撲協会)より小汐山(こしおやま)の「しこ名」と、「代々江戸相撲世話係」の名称を与えられました。小汐山の子孫である吉村敏明氏の自宅の庭には、現在、高さ58㎝の丸い自然石があり、そこには「小汐山」と刻まれています。
 小林さんは、3月10日に川西町教育委員会を通じて、川西町フレンドリープラザや町内の各小学校にこの紙芝居を贈呈することにしています。それでは小林さんに、紙芝居を読んで頂きましょう。伝承民話紙芝居『日本一の力持ち』のはじまり、はじまり。。。

◇参考文献 『米澤市史』(昭和19年発行)

(2018年2月22日14:05配信、2月25日18:45最新版)