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北越戊辰戦争で戦死、米沢藩士末裔が戦地で慰霊

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 平成30年は、戊辰戦争150年として歴史を振り返るイベントが日本各地で開催されています。
 先祖が米沢藩士という米沢市万世町桑山在住の古川清志さん(82歳)は、北越戊辰戦争で親族2人の戦死者を出しました。一人は古川さんの曽祖母の兄にあたる古川久左エ門政長(享年18歳)、もう一人は母の実家の来次伊久馬秀政(享年36歳)で、いずれも現在の新潟県長岡市で行われた新政府軍との戦いで戦死しました。
 古川さんの家は、先祖が戦死した場所をこれまで誰も訪れたことがなく、どのような状況で戦死したのかもわかっていませんでした。9月4日〜5日、古川さんは慰霊のため現地を訪問しました。
 古川久左エ門政長は、慶応4年(1868)7月25日、越後福井村で戦死しました。その場所近くには現在、長岡市北越戊辰戦争伝承館(安藤一彌館長、長岡市大黒町)が建っています。この施設は、新組(しんぐみ)地域の住民から見た北越戊辰戦争の有様を伝える施設として、平成24年5月26日に開館したもので、館内には長岡、会津、米沢などの奥羽越列藩同盟軍と、薩摩、長州などの新政府軍が激しく戦った様を、年表、地図、実物の鉄砲や刀、当時の従軍日記などの史料を展示して解説しています。
 この地区は北越戊辰戦争の中で最激戦地とされ、慶応4年6月4日から7月29日までのおおよそ2ヶ月、長岡城の落城、奪還、再落城を挟み、激しい戦闘が続き、米沢藩はこの地区で80名近い戦死者を出しました。特に、古川久左エ門政長が戦死した7月25日は、長岡城奪還のための八丁沖の戦いが繰り広げられました。
 古川清志さんは、安藤一彌館長より戦闘の模様や戦死した米沢藩士らが村人たちにより火葬され、丁重に葬られたことなどを聞きました。火葬の場所には、海軍中将だった山本五十六が揮毫した「戊辰戦蹟記念碑」が建てられ、また同館の隣接場所には「戊辰の役供養塔」が建立されています。

 米沢市から長岡市へ向かう途上、加茂商工会議所に若杉俊彰専務理事を訪れました。加茂市は新潟県のほぼ中央に位置し、古くから北越の小京都と言われています。平成28年9月、加茂商工会議所より『越後戊辰戦争と加茂軍議』(稲川明雄著)発刊の知らせと本が米沢日報デジタルに送られてきたことから、今回、挨拶に立ち寄ったものです。
 加茂の大昌寺で、米沢藩士雲井龍雄が奥羽越列藩同盟の理論的支柱となった「討薩ノ檄」を書きました。市川正平治宅は、慶応4年5月22日から23日にかけて、米沢、会津、長岡、桑名、村松、村上の各藩の重鎮が集まり、長岡落城後の方針を定める軍議(加茂軍議)が開かれました。
 長岡城本丸があった場所には、現在、JR長岡駅が建ち、石碑が一基建立されてあります。かつて長岡城がそこにあったことをかろうじて教えてくれます。長岡市東神田3丁目にある栄凉寺(えいりょうじ)は、長岡藩主牧野家と河井継之助の墓があります。
 河井継之助の屋敷跡に河井継之助記念館があります。この日、古川さんは河井継之助記念館の稲川明雄館長にお会いしました。稲川館長は古川久左エ門政長が戦死した八丁沖の戦いの様子を臨場感を込めて話してくれました。

 古川さんは来次伊久馬秀政が戦死した長岡市栃尾に移動しました。米沢の資料では、「(慶応4年)7月25日、越後栃尾表討死 36歳」とあります。栃尾は豪雪地帯で、道路の両側の家には雁木(がんぎ)と呼ばれる雪よけが設けられています。この栃尾は上杉謙信が青年期を過ごし、天文(てんぶん)12年(1543)、越後平定のために栃尾城で挙兵し、やがて越後の国主となりました。
 戊辰戦争の際の米沢藩に関係するお寺として教えてもらった善昌寺を訪れました。お寺で訪問の目的を伝えると、戊辰戦争にかかわる部分のプリントを頂きました。それによれば、慶応4年7月24日、長岡藩兵が長岡城奪還を目指して八丁沖を渡ろうとしていた時に、栃尾残留の仙台藩、米沢藩の兵が土ケ谷の新政府軍を攻撃しました。これは八丁沖の陽動作戦とされると書かれてあります。この時に、米沢藩兵の神田五郎次17歳が戦死しました。寺の裏山に墓所があると聞き訪れると、小さな墓石に米沢藩士神田五郎次と読めました。
 続いて瑞雲寺を訪れました。前住職で、現在、栃尾観光協会顧問の石田哲彌師にご案内をいただきました。同寺には、長岡藩主牧野家の位牌が祀られているほか、戊辰戦争の際に米沢藩雷撃隊が宿陣し、桂峠(桜峠)の戦闘に参加しました。最後の出陣に際して、思い出と感謝と惜別の思いを込めて戸板に書き残していきました。来次伊久馬秀政の足取りは、今回の訪問では具体的にはわかりませんでした。
 古川さんは、150年振りに先祖の戦没池を訪れ、務めを果たしたとして感激していました。

(2018年9月6日21:15配信、9月20日08:35最新版)