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上杉鷹山、黒田長舒、秋月種茂の「三名君」に学ぶ




 米沢藩主上杉鷹山、秋月藩主黒田長舒(ながのぶ)、高鍋藩主秋月種茂の三名君に学び、その顕彰活動を行っている米沢・朝倉交流会(北村正敏会長、米沢市)は、7月8日、九里学園高校教育センターホールで「三名君のまち」と題する講演会を開催しました。
 米沢市は、米沢藩主の血縁関係から、昭和56年(1981)に宮崎県高鍋町と姉妹都市を締結したほか、平成20年(2008)以降、福岡県朝倉市の間で、毎年、市長同士が行き来をしています。平成30年(2018)10月には、米沢市で「秋月三名君フォーラム米沢大会2018」が開催されました。
 講演会の講師は、九里学園高校教諭の遠藤英氏で、同日午前は同校生徒を対象に入門編を、午後は市民を対象に続編が行われ、午後の部には同校生徒を含む40人余りが参加しました。
 遠藤氏は入門編の中で、米沢藩、秋月藩、高鍋藩の地理、石高のほか、三名君の血族関係を説明しました。また3人の藩主が行った、仁政、人材育成、敬老、医療、産業振興策、下意上達のやり方などを比較しました。
 続編では、三名君の生誕から逝去までを時系列で示し、遠藤氏は上杉家の公的な記録資料をまとめた『上杉家御年譜』には3人の交流の記録はないとしたものの、江戸の住まいはお互いに約1キロから3キロしか離れておらず、私的な行き来は可能だったとしました。天明の大飢饉を経てからの3人の動きには共通性があるとし、特に藩政改革を行うに際しては人材育成に着眼して、まず藩校を開校しているほか、鷹山、種茂は隠居して参覲交代を免じられ、藩政改革を本格化し、種茂、鷹山兄弟の父、秋月種美(たねみつ)が没した天明7年(1787)に兄弟は藩政改革に向けて、心を一つにして別れただろうと述べました。遠藤氏は、我々は鷹山を神様扱いしているが、実は兄弟や家族の支えがあって、頑張れたのではないかと述べました。
 江戸時代265年の中で、大名を勤めた人は約5,000人に上るが、そのうち「名君」と言われるのは約20人だとして、その中に種茂、鷹山兄弟が含まれると述べました。
 最後に遠藤氏は何のために歴史を学ぶかについて、「未来を切り開いていくため」と話し、三名君は新しい社会を作り、行動からは同じ答えが出てくると結論付けました。

(2019年7月8日19:05配信、7月9日13:40最新版)