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上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会(先人顕彰会、小嶋彌左衛門会長)が主催する第29回鷹山公シンポジウムが8月25日、伝国の杜置賜文化ホールで開催されました。
今年は米沢藩最後の藩主で明治14年から16年まで沖縄県令(県知事)となり、今も沖縄で敬愛されている上杉茂憲(うえすぎもちのり、1844〜1919)の没後100年にあたることから、米沢と沖縄の視点からその生涯や業績を振り返りました。
開会行事では、先人顕彰会会長の小嶋彌左衛門氏、同会名誉会長の上杉家第17代当主上杉邦憲氏らが挨拶しました。
第一部では、直木賞作家で山形市在住の高橋義夫氏が「沖縄の殿様」と題して、基調講演を行い、この中で高橋氏は、本土復帰前後の1970年ごろ、沖縄の文芸雑誌に近代沖縄の礎を作った人々の列伝の特集が掲載され、そこに上杉茂憲県令と建築家の伊東忠太(米沢市出身)の名前があり、米沢と沖縄県民の友情はこの二人の先人に始まり交流が途絶えることなく続いていると述べました。
さらに上杉県令は様々な改革を実行しましたが、それは上杉鷹山の改革を手本にしたことが伺えるとしました。上杉県令は赴任した沖縄の庶民の暮らしぶりを見て驚き、生活の向上と産業育成を図ろうとしますが、「辻遊郭」改革のつまずきなど妨害に遭い、急激な改革は控えるという「旧慣温存策」を取る時の政府に否定され、尾崎三良の中傷によって2年で任を解かれてしまいました。
在職中に全島を視察し県費留学制度を実現して若者5人を東京の大学に学ばせ、後の沖縄のための人材育成を図ったことは、沖縄の近代史に残した業績と述べました。
第二部では、上杉邦憲氏、沖縄県八重瀬町長の新垣安弘氏、沖縄県出身で、現在、公立置賜総合病院副院長の金城利彦氏の3名が「米沢と沖縄から見る茂憲公」としてそれぞれ思いを語りました。
上杉邦憲氏は、曽祖父である上杉茂憲県令の関係から、沖縄との長年の交流や深いつながりについて述べました。
(2019年8月27日21:15配信)