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竹田 歴史講座

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鷹山精神を現代に、米沢市制130周年記念フォーラム




 米沢市は今年、市制施行130周年、上杉鷹山入部250年を記念して、9月28日、伝国の杜置賜文化ホールで記念フォーラムを開催しました。
 第1部は、作家の童門冬二氏を講師に迎え、「今、上杉鷹山が語りかけてくれること」を演題に講演会が行われました。
 童門氏は、ケネディ大統領のブレーンの中の誰かが内村鑑三が英文で書いた『代表的日本人』を読んだのではないか。1760年の日本の封建領主が何故、米沢藩のマスター(主人)は住民であるということを口にできたのか、ケネディーの関心だったと述べました。
 鷹山が初めて米沢に入部したときに、板谷の宿で灰皿の奥の方に小さい火種を見つけ、師細井平洲から勇気を持ってやりなさいと言われたが、自分にとっての改革はこの火種を持って周りの人に広げることであり、火種こそ改革のパワーと気付いたとしました。
 城の役人の意識改革を図るために学校が必要だと細井平洲先生を招き興譲館を設立し、人徳を興し、恕(じょ=思いやり)の精神を養った。ヒューマニストの鷹山の思いが出たのが、「棒杭市」であり、これは鷹山改革の象徴であると述べました。将軍から大名として初めて鷹山は表彰され、これは唯一のことであり、火種精神に光を当てようとするものだったとしました。(明治維新後、鷹山の精神を受け継いだ)上杉茂憲は沖縄県知事となり、全島を歩いて貧民対策のために政府に嘆願書を書いたように、米沢に育まれてきた鷹山スピリットは、「なせばなる」だけでなくもっと多い語りかけがあると結論づけました。
 第2部は、鈴木淳雄東海市長、中川勝米沢市長が上杉鷹山の政治を今にどう活かしていくかなどについて対談を行いました。
 最後に、上杉鷹山が刊行させた細井平洲の「嚶鳴館遺稿」の現代語訳を刊行した東海市より、米沢市に全十巻が贈呈され、鈴木淳雄東海市長より中川勝市長に刷り上がったばかりの最後の巻が手渡されました。
 当日は500席がほぼ満席となる人気でした。

(2019年9月30日23:20配信)