75年前の昭和20年8月6日午前8時15分、米軍により人類史上初の原子爆弾が広島市中心部の上空約600メートルで炸裂し、強烈な熱線と爆風、放射線により街は一瞬で破壊され、約14万人の生命が奪われました。
爆心地から北東1.3㎞にあった中国郵便局中庭に植えられてあったアオギリは、幹半分が熱線と爆風で焼けましたが、その後、青々と芽を吹き返し、被爆者に生きる希望を与えました。このアオギリは、昭和48年(1973)に、平和記念公園内に移植され、アオギリの種から育てられたのが被曝アオギリ2世として日本各地に植樹されています。
8月6日午前8時すぎから、30人余りが参加して、米沢市役所敷地内の被曝アオギリの前で、「原水爆禁止米沢地区協議会」が主催して、「原爆死没者の慰霊並びに平和祈念の黙とう」が開催されました。1分間の黙とうが行われた後、中川勝市長が挨拶を行いました。
また市役所1階では、約40枚のパネルが展示され、改めて原爆の悲惨さや平和の尊さを訴えるものとなっていました。原爆パネル展は、8月6日から8月14日まで開かれています。