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戊辰戦争時に米沢で自刃、会津藩士堀粂之助墓前祭




 慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、会津藩は堀粂之助と吉村寅之進の2名を米沢藩に派遣し、援軍要請を行いましたが、米沢藩はすでに新政府軍への降伏を決定済みだったため、堀粂之助は使命を果たせず、同年9月5日(旧暦、新暦では10月20日)、米沢の宿舎で自刃しました。享年31歳でした。遺体は米沢の人たちにより龍泉寺(米沢市大町四丁目)に葬られ、戊辰戦争の歴史を伝える悲劇として歴史に止めています。
 10月17日、龍泉寺において「堀粂之助墓前祭」(堀粂之助墓前祭実行委員会 上泉泰代表)が行われ、同墓前祭世話人ら10人余りが参加しました。今年は新型コロナのために、規模を縮小して開催したものです。
 上泉泰代表らの挨拶に続き、参加者は焼香を行い、続いて堀粂之助の辞世の句「神かけて」と山本八重の「明日の夜は」で始まる句を参加者で吟詠して、堀粂之助の遺徳を偲びました。
 当日は、鎌倉市に住む堀粂之助の子孫、堀英彦さん(5代目)と、札幌市に住む吉村寅之進の子孫、荻昌弘さん(5代目)より墓前祭に当たってのメッセージが届きました。
 昭和46年に龍泉寺に堀粂之助の遺徳を顕彰する墓が整備され、会津藩主松平容保の孫で参議院議員(当時)の松平勇雄氏が揮毫した墓碑が建立されました。