newtitle



画像04が表示されない

竹田 歴史講座

▲トップページへ戻る

米沢上杉まつりに多くの人出、川中島合戦でフィナーレ




 米沢上杉まつりは、5月3日、まつりのハイライトである川中島合戦が行われました。同日午前に行われた上杉行列では、市内7小学校と米沢こども園が参加する鼓笛隊や上杉松岬両神社の「みこし渡御」が午前9時50分に南部小学校をスタートし市内をパレードしました。
 また午前10時30分からは、甲冑を着た武者や鉄砲隊、馬上の上杉謙信などの「上杉軍団行列」が興譲小学校をスタートし、威風堂々の姿を披露しました。今年、上杉謙信役を務めたのは、大阪市在住の石河亮太(いしこりょうた)さんです。
 午後2時から松川河川敷において「川中島合戦」が行われました。この合戦は永禄4年(1561)秋、上杉謙信と武田信玄の間で行われた戦国史上最大の死闘といわれ、この戦いを上杉軍356名(昨年262人)、武田軍294名(昨年209人)で再現しました。
 はじめに戦勝祈願として、武田軍が「三献の儀」、上杉軍が「武てい式」を行い、弓矢や火縄銃を発射して合戦の幕が落とされました。両軍から火縄銃が発射されると会場では大きな音が響き渡り、観客から大きな拍手が送られました。
 はじめ武田軍は苦戦が続きます。そこに馬上の謙信がただ一騎で武田本陣に乗り入れ、太刀を振りかざして三度信玄に切りつけると信玄はそれを軍扇(ぐんせん)で受け、「三太刀(みたち)」のシーンが再現されました。武田軍の別働隊が川を渡り、合戦に加わると上杉軍は挟み打ちにあい、形勢は逆転し始めます。
 合戦が終了して、上杉、武田両軍の倒れていた武者が「蘇るのだ」とのアナウンスが発せられると、立ち上がり観客から大きな笑いがおきました。
 この日は朝から晴天に恵まれ、米沢市での最高気温は午後3時に24.2℃を記録し暑い中での熱い川中島合戦が繰り広げられました。主催者の米沢上杉まつり実行委員会は、上杉行列に7万人(昨年は5万人)、川中島合戦に4万人(昨年4万人)の計11万人(昨年9万人)、また米沢上杉まつり期間中の4月29日から5月3日までの人出は21万5千人(昨年17万7千人)と発表しました。