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竹田 歴史講座

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戊辰戦争時に会津藩から救援要請に、堀粂之助墓前祭




 慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、新政府軍の攻撃を受けた会津藩は、藩主の命により堀粂之助と吉村寅之進を奥羽越列藩同盟の一員であった米沢藩に派遣しました。2人の藩士は9月3日米沢に到着して援軍の要請を行いましたが、米沢藩はこの時すでに新政府軍に対して降伏恭順を決定していたため、この求めに応えることができませんでした。
 9月5日、堀粂之助は君命を果たし得なかったとして、宿に戻り自刃しました。一方、吉村寅之進は、仙台藩に援軍を求めに行ったとされていましたが、その後の消息は長らく不明となっていました。
 
 11月4日、NPO法人雲井龍雄顕彰会(屋代久理事長)が主催する第20回堀粂之助墓前祭が米沢市大町4丁目にある龍泉寺で開催され、堀粂之助の子孫の堀英彦さん(鎌倉市在住)、吉村寅之進の子孫の荻昌弘さん(札幌市在住)や、同顕彰会会員、市民ら20名余りが参加しました。墓前祭では、龍泉寺住職による読経、堀粂之助の辞世の句が吟じられました。参加者は堀粂之助の遺徳を偲びながら次々と焼香しました。
 墓前祭に続き、伝国の杜で「幕末戊辰戦争期の米沢藩と会津藩」と題して、九里学園高校教諭の遠藤英氏と、歴史春秋出版社社長の阿部隆一氏がそれぞれ思いを語り、会場の参加者と質疑応答を行いました。

 令和2年3月、堀粂之助墓前祭の模様を配信した米沢日報デジタルを見た札幌市在住の荻昌弘さんから、「自分は吉村寅之進の孫の孫に当たるので、堀粂之助の子孫と連絡がとりたい」との依頼があり、当社は主催者にその情報を提供しました。2人の会津藩士末裔の顔合わせは、令和4年11月26日、堀粂之助没後150年余りにして、龍泉寺で実現しました。