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宮城県大郷町、支倉常長の命日に顕彰記念コンサート




 仙台藩主伊達政宗の命によりノビスパン(メキシコ)との通商貿易と宣教師の派遣を求めるために慶長遣欧使節を率いた支倉常長の終焉の地とされる宮城県大郷町で、2月17日、「支倉常長顕彰記念コンサート」が開かれました。主催したのは、大郷町まちおこし協議会(渡邊健一郎会長)、支倉常長顕彰会で、常長の偉業を継続して広く世に伝えていこうと顕彰活動の一環として開催したものです。

 この日は常長の命日にあたり、午前10時30分から同町にある「支倉常長メモリアルパーク」の墓所で、主催者や田中學町長ら町関係者が僧侶の読経供養の中、焼香を行いました。午後1時30分からは、大郷町文化会館において、「支倉常長顕彰記念コンサート」が行われました。主催者の渡邊会長の挨拶や来賓の田中學町長らが祝辞を述べました。
 町内の合唱団、「童謡を歌う会」のメンバーが「支倉常長の歌」を演奏しました。この歌は大正末期に大谷尋常高等小学校に赴任した教師、浅野末治氏が常長の偉業に感激し、作詞作曲したものです。毎年2月17日の命日には、5年生、6年生を引率し、片道徒歩で2時間かけて墓参りし、墓前でこの歌を合唱しました。この行事は先の大戦が始まるまで続いたそうです。
 続いて、大郷町顕彰芸能に指定されている支倉常長供養舞「郷さんさ」が同保存会によって披露されました。仙台城天守で行なわれている伊達武将隊主催の七夕ナイトイベントなど、各地のイベントに出演しています。
 渡邊会長が「大郷町と常長との関係する歴史を説明し、常長一行の侍の血を引くスペインのハポンさんが、平成3年(1991)に初めて大郷町に墓参りに来たことや、令和元年(2019)にも、現支倉家当主の支倉正隆氏の強い要望があり、急遽2回目の墓参りが行われたことを紹介しました。

 コンサートでは、地元大郷町出身のメゾソプラノ 赤間夏海さんほか、フルート、ピアノの演奏家が、バッハ、シューベルト、ビゼーといったクラシックや、荒城の月など日本歌曲を演奏しました。
 当日は町民のほか、支倉常長誕生の地米沢市から参加した家族など、100名以上の聴衆が記念コンサートを楽しみました。

 常長は、慶長18年(1613)10月28日、サン・ファン・バウティスタ号で仙台藩領の月浦(宮城県石巻市)を出航し、ノビスパン(現メキシコ合衆国)の首都メヒコを通り、大西洋を横断、イスパニア(スペイン)にわたり同国王や、イタリア・ローマに至ってローマ教皇パウロ5世にそれぞれ謁見しました。月浦の出航から1620年の帰国まで7年余りが過ぎていました。宮城県内には、常長の墓所とされる地が4箇所あります。
 支倉常長顕彰会はこのほど設立されたもので、記念コンサートの主催が初めての活動となりました。今後、常長生誕地米沢市、ほかとの交流を行っていきたいと関係者は述べています。