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米沢上杉まつりは、5月3日、まつりのハイライトである川中島合戦が行われました。
同日午前に行われた上杉行列には、市内7小学校と米沢こども園などが参加する鼓笛隊や上杉松岬両神社の「御神輿渡御」が午前9時30分に南部小学校をスタートし、市内をパレードしました。
午前10時30分からは、甲冑を着た武者や鉄砲隊、馬上の上杉謙信などの「上杉軍団行列」が興譲小学校をスタートし、威風堂々の姿を披露しました。上杉行列には、総勢1400名余りが参加しました。今年、上杉謙信役を務めたのは、米沢市在住の天野由大(30歳)さんです。
午後2時からは松川河川敷において「川中島合戦」が行われました。永禄4年(1561)秋、上杉謙信と武田信玄の間で行われた戦国史上最大の死闘といわれる戦いを、上杉軍414名(昨年356人)、武田軍339名(昨年294人)の総勢753名(昨年650人)で再現しました。
はじめに戦勝祈願として、武田軍が「三献の儀」、上杉軍が「武てい式」を行い、弓矢や火縄銃を発射して合戦の幕が落とされました。両軍からの火縄銃は、「打て」の声とともに会場で大きな音が響き渡り、観客から大きな拍手がおくられました。
川中島合戦のハイライトである「三太刀(みたち)」のシーンでは、馬上の謙信がただ一騎で武田本陣に乗り入れ、太刀を振りかざして三度信玄に切りつけると、信玄はそれを軍扇(ぐんせん)で受けました。
両軍の死闘が続き、武田軍が苦戦している中、妻女山から下った武田軍の別働隊が川を渡り合戦に加わると上杉軍は挟み打ちにあい、形勢が逆転し始め、上杉軍の隊列が崩れ始め善光寺に引き上げます。こうして戦国史上最大の戦い「川中島合戦」が幕を閉じました。
合戦が終了して、武者達と観客の記念撮影が行われ、武田信玄役で登場した「おしょうしな観光大使」の角田信朗さんの前には、行列ができていました。
この日は朝から晴天に恵まれ、米沢市での最高気温は24.6℃を記録し、暑い中での熱い川中島合戦が繰り広げられました。主催者の米沢上杉まつり実行委員会は、上杉行列に6万人(昨年は7万人)、川中島合戦に3万人(昨年4万人)の計9万人(昨年11万人)、また米沢上杉まつり期間中の4月29日から5月3日までの人出は、目標数22万人に対して、16万8千人(昨年21万5千人)だったと発表しました。