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米沢藩幕末の志士雲井龍雄「討薩之檄」の拓本採取


 

 米沢藩幕末の志士として知られる雲井龍雄(1844〜1870)は、戊辰戦争の最中の慶応4年(1868)6月10日、米沢藩総督である千坂高雅の命により、薩摩藩の横暴を責め、薩摩を討つべしという趣旨を述べた「討薩之檄」を起草しました。この檄文は、新政府軍と戦う奥羽越列藩同盟軍の理論的支柱となり、大いに鼓舞するものとなりました。
 その「討薩之檄」を記念する石碑が米沢市金池4丁目にある北村公園地内に建立されています。これは建設大臣、国家公安委員会委員長などを歴任した故木村武雄代議士(1902〜1983)らが中心となり、昭和50年(1975)11月に建立されたものです。
 石碑の除幕式には、木村代議士、吉池慶太郎米沢市長(当時)、木村代議士と親しかった上杉神社稽照殿学芸員の尾﨑周道氏(故人)らが出席しました。その際、尾﨑周道氏の私塾(無双塾)で学んでいた若者たちが、当日の手伝いを行いました。その中に、那須野浩さん(米沢市成島町在住)がいました。
 那須野さんは、建立以来ほぼ半世紀となる石碑に書かれた「討薩之檄」を拓本として後世に残したいと考え、書家の菊地峰月先生(米沢市在住)の協力を得て、5月29日に作業に着手しました。当日は、無双塾で学んでいた人たちも集まり、除幕式当日のことを語り合っていました。
 石碑は、木村武雄代議士による揮毫をもとに文字が彫られたもので、石碑の上部には雲井龍雄の略歴が記され、下の部分は「討薩之檄」が書かれています。木村武雄代議士は、書聖と言われた宮島詠士(米沢出身)の書風を受け継ぎ、字体は格調高いものとなっています。
 菊地先生は、午前8時30分から11時頃までかけて、石碑を3つの部分に分けて丁寧に拓本を採取しました。最終的に、3セット分の拓本を採取予定です。