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建設大臣、国家公安委員長などを歴任した米沢市出身の政治家・思想家である木村武雄(1902〜1983)の思想と哲学、政治活動の足跡を辿り、調査・研究・検証・伝承を目的に活動している木村武雄伝承会(野村研三会長)は、8月30日、米沢市の御成山にある「石原莞爾分骨記念碑」で、同記念碑顕彰祭を開催しました。この日は木村武雄生誕125年の日にあたり、会員ら約30人名が出席しました。
この石碑は、昭和24年8月15日、現山形県飽海郡遊佐町で逝去した元関東軍参謀石原莞爾の遺骨を木村武雄が米沢に分骨して持ち帰り、22年後の昭和46年8月15日に埋葬記念として建立したものです。石碑の高さは約5メートルで、石原莞爾が生まれた鶴岡の方向を向いています。碑文は石原莞爾を崇敬した木村武雄が書き、アジアの共存共栄思想の大切さを述べ、その実現のために生涯をかけて取り組む決意が記されています。
顕彰祭では、はじめに野村研三会長が挨拶し、伝承会の設立の目的を述べました。次に石原莞爾の姿を捉えたビデオ「立正安国」が上映され、続いて献花が行われました。
石原莞爾(1889〜1949)は、山形県鶴岡市出身で、陸軍大学校を卒業、同校教官、ドイツ留学などを経て、関東軍参謀として、昭和6年9月の満州事変、翌年の満州国建国を主導した人物として知られています。日支事変(日中戦争)の拡大に反対し、昭和14年に第16師団長(京都)を最後に、昭和16年に予備役に編入され、1年ほど立命館大学教授となり、東亜聯盟顧問としてその運動に注力しました。戦後、極東国際軍事裁判酒田出張法廷に証人として出廷し、昭和24年8月、数え年61歳で死去しました。
遊佐町で石原莞爾顕彰会会長として、石原莞爾先生墓所を守っている歌川博男氏が、父親が石原莞爾の「農工一体、簡素生活」実践のため酒田市吹浦の開拓に同行したことや、同顕彰会の活動などを述べました。歌川氏は、石原莞爾先生墓所を訪れる人数がここ10年は毎年増加している状況を述べました。