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序・・・あらすじ・・・

(1)ベートーベン先生誕生

 酒蔵の一人息子の私は、昭和7年生まれ、昭和19年米沢興譲館中学入学。終戦までの一年半はほとんど、軍事教練と勤労奉仕で鍛えられた自称「戦中派」である。

 ご多分にもれず「ドラ息子」で、戦後は世の中が引っ繰り返り、やけになって音楽にうつつを抜かし、酒蔵を継ぐのは嫌だと駄々をこね、蔵人(くらびと・酒造従事職人)から「ベートーベン先生」とあだ名を奉られた、我儘で世間知らずの青二才であった。

 東京農工大学農学部農芸科学科に入学したものの、勉強はそっちのけで、ピアノとバイオリンの練習に明け暮れていた。卒業に当たって「就職したい」と申し出たら担当教授から、こっぴどく叱られた。「この就職難時代に、酒造業という立派な家業を持ちながら、就職したいとは何事だ。だいたい、お前を大学に入れたのは、就職の心配がないからだ」と長時間お説教を食らい、「こりゃ駄目だ」と諦めざるを得なかった。

 昭和30年春、大学卒業。同じ頃、父親が手術。結果は癌で、執刀医から「半年の手遅れで、寿命はあと三ケ月。本人には絶対に内緒だぞ」と宣告され、絶望的な気持で家に帰る。同年9月父死亡。享年50才。私は23才であった。


(2)良薬口に苦し

 父の死亡で私は、有無を言わせず襲名(改名)させられ、11代伊兵衛として酒蔵の主となった。まもなく酒造期に入る。それまでは父、10代梅津伊兵衛が、杜氏(とうじ・酒造責任者)から営業まで全てを仕切った、約500石の小さなワンマン酒蔵であった。杜氏の後継者が、戦争のため育っていなかったのが致命的である。先輩のアドバイスを受け、止むなく初めて、外部から杜氏を招くことになった。腕の良い「南部杜氏」だ。

 新体制で造った酒が、品評会でトップの成績をあげ、国税局の先生から絶賛される。しかし勇んで売り出した酒が、全部返品となった。昭和30年、戦後は終ったとは言え未だ酒は品不足で、どんな酒でも飛ぶように売れた時代。先生から誉められた酒が、全く売れないという最悪の事態だ。つまり酒の品質設計が間違ったのである。当時、濃潤甘口で評判の米鶴が、淡麗辛口の吟醸酒に変わってしまった。専門家は絶賛しても一般消費者には通じない。「これは米鶴ではない。若旦那は何処からか、安い酒を買って混ぜ、増量して儲ける魂胆だろう。これは返すから本物の米鶴を持って来い」との苦情だ。顧みるとこの事件が私にとって、なによりの薬になった。


(3)大吟醸酒F-1(エフワン)の誕生

 蔵の中にあふれた返品の山を見て、ドラ息子も深刻な事態を自覚した。「やっぱり自分でやるしかないか」。それから命懸けで酒造りの勉強が始まる。そして3年目、自分で酒造りをするに当たって、杜氏とトラブルが生じる。その時の、地元の蔵人の米鶴愛の熱い心に魂をゆさぶられ、ドラ息子「ベートーベン先生」は生まれ変わることになる。

 昭和33年春、杜氏が去って、「ベートーベン先生」の酒造体制の蔵となった。ロマンチストの若い蔵主には夢があった。蔵は小さくとも日本一の夢だ。「鑑評会(原則は非公開の研究会)」「品評会」は蔵の大小や、杜氏蔵人の経歴に関係なく、同じ土俵で相撲がとれる唯一の場所だ。これを逃がす手はない。しかも酒造技術をマスターするには、難しい「大吟醸」に挑戦するのが早道ではないかと考え、意欲的に吟醸酒造りに取り組んだ。

 昭和43年、東京農業大学主催の全国品評会で、最高賞のダイヤモンド賞を山形県で最初に獲得し、その記念に「大吟醸F-1」を発売した。大吟醸の市販では業界の草分けである。酒造りの限界に挑む大吟醸は、技術的には、自動車における「F-1レーシングマシン」に匹敵する意義から命名したものである。


(4)吟醸酒ブームと自由化の嵐

 日本の食生活が向上して飽食の時代に入ると、酒もそれまでの「濃い酒、甘い酒」全盛時代から「淡麗、辛口」型が要望され、昭和50年代、吟醸酒ブームの開花を迎える。

 顧みると、第二次世界大戦中と戦後の混乱時代は、粗製濫造の不味い酒でも売れた時代で、「うすくてきたない酒」(反対は「こくてきれいな酒」)が多かった。昭和30年代に入って、食生活が豊かになるにつれて「濃い酒・甘い酒」全盛時代が続いていた。

 その頃は、「淡麗辛口」の吟醸酒は「薄辛い酒」として市場は受け付けなかった。県単位で「吟醸酒廃止決議」の動きまであり、「吟醸酒は売り物にならない」という空気が支配した業界だった。現在の吟醸酒ファンの熱烈なエールを仰ぐと、隔世の感がある。

 平成4年、級別制度が廃止され自由化の時代に入る。私はこの時、一つの仮説をたてた。「これから本当の豊かな酒文化が育つ。ただし消費者に定着するには10年はかかるだろう」。既に7年目に入った。色々な品質の酒の風味を楽しむ時代がきた。
 反面、酒流通業界は混乱の極にある。ご自分の得意業で軌道に乗せることが出来るか。ここ1、2年が勝負所だと思う。


(5)世紀の大実験市場

 豊かな酒文化時代になったとは言いながら、製造の段階では未だ戦後の影を引きずっている面がある。その一つが「醸造用アルコール」。これは「サトウキビから砂糖を取った残りの廃糖蜜を醗酵蒸留したラム酒を精製したエチルアルコール」だ。日本の精製技術が優れていて、近代工業で大量生産したエチルアルコールながら、無味無臭の、ほぼ純粋なエチルアルコールである。これをそのまま販売しているのが商品名「甲類焼酎」。「乙類焼酎」が日本古来の伝統の焼酎だ。この醸造用アルコールに人工的に香味を付けたのが「合成酒」。この醸造用アルコールで三倍に増量した清酒が「三倍増醸酒」。約5割増量した清酒が「アル添酒」。ちょっぴり(約10%)添加した清酒が「本醸造酒」。本醸造酒は古来伝統の「桂焼酎法」に習った方法で、この「本醸造酒」と、米と水だけで造った「純米酒」を「日本伝統の清酒(特定名称酒)」と呼んでいる。

 また「液化仕込み法」という米を蒸さないで、白米を酵素剤で糖化して酒にしてしまう超合理化の製造法が開発された。これら、さまざまの酒が売場に並んでいる。まさに「世紀の大実験」と言うべきであろう。


(6)豊かな酒文化時代に向って

 「世紀の大実験」に問題点がある。「酵素剤使用」の表示義務が免除されている点だ。戦後の混乱期、貴重な米を使用するので使用効率を上げるため「白米の0.1%」の酵素の使用を認めていた。当時の酵素力価は低かったから無視できても、現在の超高力価の酵素剤の使用を、既得権として表示義務を免除しているのは、消費者欺瞞だと思う。戦後の混乱期ならいざ知らず、飽食の時代に表示の手抜きは許せない。かかる欺瞞は先進国では日本だけで恥ずかしい。消費者は、かかる実験売場で、どれを選ぶであろうか。

 私の酒造理念は「酒は正直なもの。原料や製法に手を抜いたものは、必ず化けの皮が剥がれる。酒は蔵人の心を映す鏡である」。いずれ消費者からの天誅が下るのではないか。酒造りは、永い歴史の研鑽で完成された伝統の技術(わざ)で、秘密やノウハウはないに等しい。良い原料を仕入れ、真面目に取り組めば、大抵は良い酒が出来る。そして魂が乗り移ったように、蔵人の顔や、その土地の土地柄の夢とロマンが浮かぶのが、本当の地酒であろう。年月は掛かるだろうが、消費者はこういう酒を選んで下さるだろう。それを信じて、これからも精進を続けていくしかない。