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山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密
東海大学山形高等学校で長らく教鞭をとり、定年後は同校非常勤講師をされ、他に文芸同人誌『杜』『梟』代表、置賜民俗学会理事、えみし学会理事、米沢市芸術文化協会副会長など、多方面で活躍している清野春樹氏が、昨年12月、「山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密」を出版した。
第一章では、山形市平清水の由来について解説する。同地は焼き物の里として有名であるが、焼き物よりもずっと古い開拓の歴史があるという。そこには平清水家という旧家があり、樹齢1200年とされるヒイラギの木がある。どうして、ここにこれほどにも古い木があるのか。平清水家は、慶長・元和時代(1610年代)、山形最上氏の家臣として、4000石を賜り、徳川時代に大庄屋を務めた家柄。同家の先祖が魔除けとして植えたものと伝わる。神亀年間(74〜729)に、下毛野(しもつけの)氏一族の黒金穆弥(ぼくや)が土着し、やがて平清水姓を名乗り、以来74代を数える。黒金という姓は製鉄を意味しており、製鉄に巧みであった。
清野氏は、ヒイラギが新羅を象徴する植物だとし、平清水家に残るヒイラギの大木は同家の先祖が新羅からの渡来人である可能性を説いている。
第二章では、宮内、赤湯・上郷の豊かさについて触れる。全国には別所と言われる地名が500か所以上あるが、南陽市宮内、同池黒にも別所という地名がある。この地名は坂上田村麻呂によって討たれた蝦夷(えみし)の人々が移配された場所だという。清野氏は、宮内や池黒の別所が坂上田村麻呂とどう関連あるのかを、日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所である郡衙(ぐんが)や神社などを丹念に歩きながら考察する。
その中で、池黒の坂上神明宮は、応徳3年(1086)に再建され、その時の棟札が残されている。国内最古の棟札は平泉の中尊寺蔵のもので、保安3年(1122)とされるが、坂上神明宮のものはそれより36年も早く、研究者の調査から外れていたことによりこちらが日本最古とみなされる。その棟札に「木刻師 韓志和」という人物の名前がかかれてあった。延暦年間に、韓志和は平安京を建設した飛騨匠で、坂上田村麻呂が命じた寺院建築に対して、韓志和は木彫りの神像を奉納したらしい。
清野氏は宮内や池黒の別所への蝦夷移配はあった結論づけるが、ただそれは強制労働や懲罰的な労働、蔑視や差別というイメージからは遠いと述べる。さらに米沢市上郷や同浅川周辺に大きな寺院が集中しているが、坂上田村麻呂との関係を明らかにすることがこれからの課題だとしている。
第三章は、長井市のアイヌ語地名について解説する。始めが「歌丸」。これは「風の神がよく通る砂浜」の意味である。アイヌ語に詳しい清野氏らしい論考が続いている。
本書を読むと、民俗学や古代史に詳しい清野氏の学問的裾野の広さや深さに改めて驚かされる。本書を手に、本書で紹介された場所を訪れてみたい。(書評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)
著 者 清野春樹
発行者 清野春樹
米沢市城西3−9−6
TEL 0238-23-1729
定価 1500円+税
(2020年1月2日15:10配信)