「龍師火帝」(りょうしかてい)は、米澤直江会が発行する機関誌で、第41号では、昨年9月に逝去した同会事務局長の小泉雅行氏の追悼特集となっている。
巻頭言では、令和3年4月に会長に就任した梁川勇二氏が就任の挨拶を行い、その中で「米澤直江会も時代に合わせた改革や対応が必要」と述べ、スマホやパソコンで誰でもが見れるように、情報の共有を図っていく方針を述べている。
また前会長の伊藤義昭氏は「人生が続く限り、日々学びと実践の時」と題して寄稿し、会長職にあった2年間余りを振り返り、新型コロナの感染拡大という大きな制約の中での活動だったとした。
追悼特集では、小泉事務局長の業績を振り返り、同会が行った「直江兼続400回忌事業」の中での取り組みを詳細に記した。特に上杉伯爵邸前の物語館では、紙人形の武者行列、パネル紹介など、同氏の持つアイデアと才能が遺憾なく発揮されたとしている。追悼文には、中川勝米沢市長、林泉寺の菊地道喜住職、歴史ライター・同会理事の今福匡氏など10名が寄稿した。
また、本誌には米沢と南魚沼を結んだ恩人で、昨年8月に逝去した上田史談義会大嶋要三前会長を偲ぶ追悼文が掲載されている。
今福匡氏が令和元年12月19日、兼続公401回忌法要講演より、新出「直江兼続書状」をめぐってと題した寄稿文を掲載した。その内容は、豊臣秀吉が居城とした伏見城築城の工事現場に兼続が自ら赴き、現場の労働者一人一人に声を掛けた様子を記したもので、兼続から京都に向かう途上の上杉景勝の随行者とみられる人物に宛てている。秀吉の気さくな面と人使いのうまさを具体的に伝える史料として、注目されている。南陽市の旅館「御殿守」が古書店から購入して所蔵しているもので、文書は文禄3年(1594)4月2日付で書かれ、兼続の花押がある。
発行者 米澤直江会
発行日 令和3年6月20日
事務局 米沢市大町3−3−33 (株)小泉創芸内
(2021年7月22日10:40配信)