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竹田 歴史講座

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書評「聞いた、考えた、やってみた 我が半生紀」武田徹著

 

wagahanseiki 著者の武田徹氏は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故を契機に、福島市より米沢市へ避難した一人で、米沢市での生活も令和3年でまる10年となった。昨年3月、3年近くにわたった「米沢住宅追い出し訴訟」が和解したことを受けて、教員やほかに取り組んできた自分の仕事を整理しようと思い立ち、令和3年7月に完成したのが本書。A4版で総頁が250頁という膨大なものとなった。
 本書では、昭和39年4月、教員生活の皮切りとなった緑ヶ丘高校(現東陵高校)から、平成13年3月に福島北高校を退職するまでの6校の時代区分毎にまとめている。
 武田氏は、昭和38年(1963)から始まった実用英語検定試験で同年に第2級に合格、昭和39年には第1級を受験し、福島県で初の合格者となった。今でも英検1級は2級とは比べものにならないほど超難関で、それゆえ1級と2級の間に準1級の試験ができたくらいである。
 筆まめなで几帳面な性格なのか、学校新聞や新聞に数多く寄稿してきたが、手元にはそれらの膨大な記録が残された。本書はその新聞の切り抜きや担任として生徒たちに送った文集、修学旅行紀などが網羅されている。
 本書の巻頭にあるのが、「若者よどこへ行く」である。その中で、「誰かが言ったように、道は最初からあるのではない。歩んだあとに道はできるのだ」と、書いている。そして、「若者よ、大いに回り道をしようではないか」とアドバイスしている。武田氏のこれまでの人生は、まさにそのアドバイスの通りの、挑戦の人生だった。
 武田氏が並の先生でない点は、自らが郷土の話題を英語教材に作成した点。例えば、研究社刊『福島の現在と未来』(1992年刊行)と題するものは、日本でもいよいよ国際化ということが言われるはじめた頃、欧米文化の一方的受容から、発信型への転換が英語教育に強く求められているとして、郷土福島をいろいろな角度からまとめ、英語で表現した。それは学校教育はもちろん、国際交流にも役立った。この本を通して世界が見えると述べ、郷土の偉人でエール大学教授を務めた朝河貫一、マラソンランナー円谷幸吉らをとりあげている。また『基本英単語3926』(1995年刊、清水書院)など、実用性を重視した英語の辞書も作った。現役時代から、「福島国際交流の会」でボランティアで英語を教えた。
 大きな人生の転機になったのが、平成23年3月11日に発生した東日本大震災だった。米沢市に避難し、「福島原発避難者の会 in 米沢代表」となった。平成26年には、『100年前からの警告 福島原発事故と朝河貫一』を出版した。原発と朝河がどう結びつくかだが、事故の根本には、朝河が言う「日本人の集団主義、権威への従順さ」を挙げている。朝河は日本人が議論をしないで、「あうんの呼吸ですぐに妥協する」ことを問題視している。武田氏は原発事故の遠因を朝河の言葉に見出した。
 福島第一原発事故に伴う住宅無償提供が2017年3月末で打ち切られたが、福島県から避難した8世帯は、その後も住み続けたことから、独立行政法人「高齢・障害・求職者雇用支援機構」が立ち退き訴訟を起こした。武田氏は、被告代表として法廷闘争を戦い、令和2年3月、両者は和解に至った。武田氏に見かけによらない断固とした信念と粘り強さがある。
 現在、居住している米沢に対する貢献では、令和元年5月、内村鑑三の英文の著作『代表的日本人』の中で取り上げられている『上杉鷹山』の部分を、武田氏は内村鑑三の古風な英語を現代的単語を使用して『上杉鷹山』を発行し、市内の学校にも配布した。
 本書の最後は、令和3年1月1日号米沢日報の中から、米沢市国際交流員のタイラー・バートンさんとの「日・米文化対談」のダイジェストを掲載している。(書評 米沢日報デジタル 成澤礼夫)

(2021年8月5日17:20配信、8月6日9:45最新版)