著者、梅宮明子さんは米沢市在住。米沢市門東町に明治期建立された日本メソジスト教会が前身の「米沢明星教会」の牧師として、昭和21年から27年間にわたり牧会した父井尻重午氏、それを支えた母信子さんの苦難に満ちた歴史と人々との温かいふれあい、思い出を綴る本。前作の「私は信子」、「天への道」の続編となる。
「はじめに」の中で、明子さんは両親が生存中はキリスト教信仰を持てなかったが、今は信仰を持ち、神のみ言葉に心の平安を得て幸せだと述べる。年輪を重ね、両親への感謝の思いが本書を書かせた動機かもしれない。
実は、昭和50年代後半から60年代前半に評者も退任した井尻重午氏が米沢明星教会において、何度か聖日礼拝で行った説教をお聞きしたことがある。右片腕を病気で失い、聖書をめくる左手も戦災で不自由になったお姿を拝見し、礼拝後の愛餐会は和やかなものだった。その説教は実に誠実で、聖書のみ言葉に忠実だった。本書はそんな思い出を評者にも蘇らせてくれるものとなった。
本書の文章は、実に感動的である。重午氏と妻信子さんの人生を時系列で追っている中で、連作の詩のような短い文章が最初から最後まで続く構成である。このような本は、ちょっと見たことがない。明子さんの独特の世界を表現している。重午氏と信子さんの家系を辿りながら、その二人の生い立ちと出会いを紹介したい。
井尻重午氏は明治39年(1906)、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)で生まれた。父新之助氏は、27歳の時に郡山尋常小学校の教員を辞し、単身、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランドに渡り、勉学と労働に明け暮れ、10年後に帰国、鹿児島実業高校教諭となった。
重午氏は鹿児島県立第一中学校に入学するも結核性関節炎のために右腕切断となり、宣教師ミス・アリス・フィンレー女史の導きで、長崎ジョン・ウェスレー教会で洗礼を受け、大正10年(1921)、長崎私立鎮西学院中学部入学、寄宿生なった。昭和元年(1926)、東京の青山学院神学部予科入学、昭和4年(1929)4月に別科入学した。しかし信仰を捨て、アーサー・ダニエル・ベリー神学部長は退学を命じた。それから反戦同盟運動に加わり、反帝国主義民族独立支持同盟日本支部宣伝部責任者となり、昭和6年(1931)治安維持法違反で検挙され、禁固3年の刑に服した。
刑務所の中で、誰かが差し入れしてくれた聖書を読み反芻する中で、聖書をもっと深く読み、再び学ばなければならないと思うようになる。昭和9年(1934)、日本メソジスト教会顧問弁護士の藤川卓郎弁護士が身元引き受け人となり、重午氏は釈放、藤川弁護士から「騙されたと思って青山の神学部に戻り給え」という勧めを受け、同学院院長室で、復学が許された。一度、「信仰を棄てた人間を何故神は許し給もうたのか」を聖書を読みながら理解しようと努めたという。昭和13年(1938)3月、青山学院神学部本科を卒業、その時、重午氏は32歳になっていた。
重午氏は、藤川弁護士が日曜学校校長を務めていた日本メソジスト牛込教会に通っていたが、そこに信徒の若い女性がいて、重午氏が樺太敷香教会の牧師に任命された時、身体障害者を地の果てに送ることに激しく抗議、一人では行かせないと「あなたの片腕になって一緒について行きます」と結婚を申し込んだのが、夫人となった信子さん。重午氏はただ涙を流すのみだった。重午氏には、生涯苦難の道を共にする伴侶が与えられた。
重午氏はその後、日本各地のメソジスト教会の牧師として赴任する。昭和20年(1945)1月29日、米軍爆撃機B29の白昼初空襲を受け、重午氏は有楽町ガード下で被弾し、破片が左腕貫通、顔面も破片や小石、砂が食い込んで腫れ上がり、1週間も目が見えない状態に落ちいった。重午氏は奇跡的に生かされたが、この被弾で大事な左腕は生涯くの字に曲がったままとなってしまう。
昭和20年(1945)8月15日敗戦、昭和21年(1946)9月10日、重午氏は山形県米沢市にある「米沢明星教会」に任地が与えられた。教会員が駅に出迎えたが荷物は風呂敷包みとバケツのみ。リヤカーには幼い4人の子供達が乗せられた。食事は重午氏の祈りの後、「いただきます」をしての乏しい食事だった。昭和24年(1949)1月、教会が経営する幼稚園が認可を得て保育園に切り替わり、募金などにより、昭和25年(1950)には待望の新園舎が完成、定員90人でスタートする。昭和48年4月、井尻牧師は牧師生活を引退し、井尻夫妻は27年間にわたる米沢明星教会に別れを告げて東京に移住した。昭和61年(1986)12月8日、重午氏は脳梗塞で入院、翌年1月8日、天に召された。享年80歳。信子さんは晩年は、米沢に住む明子さんの元に身を寄せ、享年96歳で天に召された。
本書には、米沢明星教会保母さんたちとの思い出、教会における牧会、日常の生活、教会員、市民たちとのエピソード、明子さんと父親重午氏との葛藤などが書かれてある。米沢市における米沢明星教会と今に続く米沢明星保育園の歴史を語る内容でもある。(書評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)
著 者 梅宮明子
発行者 梅宮明子
発行日 2024年3月10日